日田祇園祭りの歴史

 日田祇園の由来   郷土の文化財−5  隈の祇園会

祇園社はスサノオノミコト=牛頭(ごず)天王を奉祀する。祇園会は貞観18年
(876)の疫病を牛頭天王のたたりとしてその平癒のため、国数に応じて66本
の鉾を立て御霊会を営んだのに始まる。

祇園社は日田でも古くから勧請(かんじよう=神を迎えること)され、正徳4年
(1714)の祇園会には、豆田と隈の両町に山鉾が造られ最盛期の徳川時代末期
にはその高さは数丈にも達した。

山鉾は主として歌舞伎に題材をとり、それにあわせて人形を造り、これに御殿・
高欄岩石・草木を配した飾り山である。

この山鉾は初夏を彩る勇壮な夏祭りとして、多くの見物客でにぎわったものである。

 祭日は旧暦の6月14日・15日であったが、現在は新暦になって、7月20日
過ぎの土曜日、日曜日に、

また、祇園ばやしは昔からあったが、今日のような形になったのは幕末、代官に
したがって小山徳太郎が日田に来往、創始してからだといわれる。

隈の祇園会は昭和47年6月12日、無形民俗資料として市の指定をうけた。

** 日田祇園の歴史 ** 

数百年前から,上城内の堤祇園社,池部祇園社,蕪の祇園社,日隈山の祇園社等
の小さい祠程度の祇園社があって悪疫退散の厄神払いが行われていたらしい。

 現在:

(1)豆田八坂神社...社格無之,社地は東西19間7合,南北6間6積4畝
      10歩,北豆田東南の方向にあり,スサノオの命を祭る.(地誌書上)

(2)隈町祇園社...昔亀翁山(日隈山(現亀山公園))にありしを,今の宮地
      に移し奉る.其砌(そのみぎり..そのとうじ)は,小さい祠の中に勧請せし
      という.宝永元申年(1704 )代官室七郎左エ門の代に社を建てる,
      今の地也.                                          (豊西説話)

     隈町北の方向にあり,スサノオの命を祭る.宝永3年建立,往古庄手村,
    村内日隈山に鎮座あり,慶長年間に田島若宮社に移す居,宝永3年辰年
    (1706)今の地に遷座す.                          (地誌書上)

(3)竹田若宮神社..竹田村祇園社は,昔,田島村に有り,延久年中
     (1069−1073)日田鬼太夫永季,刃連(ゆきい)郷に5ケ所の若宮を
      勧請す.其の一社也と言い伝う.  

      後慶長5子年(1600)田島村より,竹田村の内,今の社地に移り奉る.
      年々祇園会祭りあり,隈町山鉾,竹田川原迄至る.

       文化9申年(1812)川原町出に御仮屋建.今はこの御仮屋迄至る
                                                           (豊西説話)

古い順:

1,竹田若宮神社 ..慶長5年(1600)
2,隈八坂神社  ..宝永元年(1700)
3,豆田八坂神社 ..生徳4年(1714)

隈八坂神社と同時に祇園会の山鉾を作った.(豊西説話)
尚,日田祇園祭りの山鉾は,正徳4年(1714),時の代官南条金左エ門
御支配の時始まる

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** 日田近隣の九州各地の祇園祭りの略歴 **

 仁治2年(1241)博多で流行の病魔退散の為,祈祷をして,施餓鬼棚に棒を
差し込んで,町民がかつぎまわす.

 永享4年(1432)博多櫛田神社の祭礼に12本の作りものを編んで,その上
に人形様のものを据え棒でかつぎ廻る.

 貞享4年(1687)博多追い山笠始まる.

 正徳4年(1714)日田山鉾始まる

 宝暦5年(1755)日田山鉾本格化

 宝暦11年(1761)福島の燈篭屋台始まる

 享和3年(1803)戸畑山笠始まる.

 文政2年(1819)唐津山笠はじまる.

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日田の祇園社の祭礼は荒神様のスサノオのミコト(牛頭天王)であり,疫神,
悪魔払い,災害除去の祭りであり,形式は京都祇園祭りに似ている.    

10日の御輿洗い...12日流れ曵き...14日御降り...15日御上り

 山鉾は之に共奉して氏子が神徳にこたえる意味を持ち
 隈は, 若宮神社<−−−>隈八坂神社

 豆田は,豆田八坂神社<−−−>中城御仮屋

 の間を曵くが,最近は観光の目的で,日田駅前でのお披露目として顔見世興行
を行っている.

 参考文献:池田範六著「日田祇園囃子」S44.12発行

*「日田祇園祭(ひたぎおんえ)」:昭和五九年三月三十日 県無形民族文化財指定

 祇園会(ぎおんえ)は夏越し祭で,疫病,風水害を払い安泰を祈念する行事である。
 神輿(みこし)洗いから始まり,勇壮な山鉾巡行(やまぼこじゅんこう)で高潮に
達する。

祇園社は日田の各地に祀(まつ)られており,正徳四年(1714)頃から,隈,
豆田で本格的な曵き山がつくられるようになり,祭が盛大になった。

かっては高さ10数メートルに及ぶ豪華な山鉾であったが,明治末から現在の
ようになり,今は隈3基,竹田2基が神輿巡幸に供奉する。

 山鉾背面を飾る見送りは,豆田に保存されているものもあわせて十二枚,
華麗な天領文化をしのばせる。

 山鉾の台で奏される祇園囃子(ぎおんばやし)は,文化末年(1817)頃,
代官所の目明(めあかし)小山徳太郎によって創(はじ)められたという.

民間の俗謡などをもとにして,三味線,笛,太鼓にのせ,独特の旋律と情緒を
かなでる。

尚,今年平成二年は,豆田地区四基の山鉾の復活と隈地区の一基の十メートル
山鉾の復活がおこなわれた。

祇園に関する展示物は,市内の隈にある祇園山鉾会館に常時展示されている。