山国農民と年貢「山国町郷土誌叢書第二集」

90/09/07 22:04:00 NOSIDE 日田義民伝概説シリーズNO.10

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(9)山国農民と年貢「山国町郷土誌叢書第二集」

延享3年...日田代官岡田庄太夫が,苛酷な年貢を取り立てて領民を苦しめ...馬原 村の庄屋穴井六右衛門が,その暴状を幕府に直訴し...帰国した庄屋ら3人は岡田代官 のため捕らえられて殺され...なお岡田代官は,山国町平小野の菅原神社に合祀されて いる.あるいは権威にこびる民衆の悲しいジェスチャーかもしれません...

(10)馬原村史

大正8年高尾小学校長佐藤寛吾氏の編著であり罫紙13枚にわたって書かれているが,第 二章第二節の「二 仏堂」の「1,仏生寺」に,「仰々仏生寺ノ由来ヲ尋ヌルニ...」 に始まる由緒が出ているが,日田義民伝の穴井井山仏生寺縁起と同様であるので省略する . 義民に就いては第7章過去の人物の,「義民穴井六郎右衛門」い直訴の顛末と訴状の 写しを記し,「二 飯田惣次」に惣次の事蹟と建碑の事をのべ,さらにこれに参加した虎 丸の組頭治右衛門(田畑取上豊後一国払)のことに及んでいる.

(11)江戸時代史(国史講座)

昭和4年栗田元次氏の著であり,筆者には郷土史以外で穴井六郎衛門の義挙を取り扱った ものとしての初見であった.貞享から天明までの大一揆31件を,年代,地方,領主,原 因,結果と分類したものであるが,延享3年豊後日田の一揆は悪政を原因としているが, 結果は成功とも失敗ともしていない.

(12)大分県偉人伝

(昭和10年)大分県教育会発行(昭和51年大分県人物志として復刻刊行)政治家,学 者,勤王家等とともに義人志士の項目があり,第一に穴井六郎右衛門と飯田惣治がとりあ げられて,代官の悪政,訴状,結末が記されている.尚偉人伝では他には,次に中津藩の 赤尾丹治,江利五左衛の事件が出ているだけである.

(13)永山布政史料

昭和11年9月千原豊太編著,武石繁次発行.中巻第7節岡田庄太夫俊惟(再任)に,  38頁(第7節の殆ど全部)にわたって義民直訴の史料と千原氏の見解が述べられている

(14)みくま

 日田高校郷土史部機関誌「みくま第六号−昭和42年刊」にも,簡単ではあるが「穴井 六郎右衛門直訴の事蹟」で,代官の重税から救うために直訴を企てた事をのべて,穴井六 郎右衛門翁は「日田の生んだ偉大なる魂である」といっている.

(15)大分県の百姓一揆

昭和五三年久米忠臣著並びに刊.同書は福岡県資料−石原家記,永山布政史料,窓のすさ び穴井六郎右衛門小伝,大分県偉人伝,寛延雑秘録等の資料で説いている.

(16)豊後年表

大正14年発行 編集者 工藤寛次,「延享三年12月29日義人日田郡馬原村里正 穴井六郎右衛門同村組頭飯田惣治等減租を強訴し浄明寺川原にて梟首せらる墓は竜泉寺境 内にあり香花絶えずと云う」とあげている.

(17)極証文等

血判状(申極書)等の根本史料は,日田市立淡窓図書館と,博物館とに依託保管せられて いる. 日田義民伝概説の表紙に戻る。

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