日田義民伝概説シリーズ浄明寺

90/09/10 22:39:38 NOSIDE 日田義民伝概説シリーズNO.12

** 日田義民伝シリーズNO.12

二)浄明寺

 浄明寺川原派廃寺の趾で,旧幕時代から明治初年にかけての処刑場であり,獄門.斬罪 等の処刑が行われた記録が散見する.刑場跡は現在は立派な舗装道路が通じ,近代的な人 家が立ち並んでいるが,以前は川に沿った細い路があるだけで,梅雨の頃に少し増水すれ ば,通れなかったといわれている.

俗に首斬台と言われた蓮花形の台石も,礫の柱を立てたと伝えられる穴のある大石も,今 は残っていない.少し移動した遺蹟(物)の現況は日田市教育委員会の簡単な解説板が道 路わきにあり,地蔵堂(馬原地蔵堂)と,鳴呼義民終焉之地の碑が立っている.

地蔵堂は昭和3年6月義民供養のため建立したもので,三体の地蔵尊が安置せられている .地蔵堂の建立と同時に碑も建設したが,「鳴呼義民終焉之地」の字は,旧日田郡長尾形 善忠氏であり,「抑当地を古えより浄明川原と称し...」の碑文は,武石繁次先生の撰 並書である.なお建碑の発起人は,武石繁次.東洋国華.木薮順の三氏で,東洋.木薮の 両人は演劇で各地に,穴井六郎右衛門の義挙の普及に尽力した人達である.

三)馬原本村と付近

旧馬原村本村の庄屋屋敷跡は,山を後にした稍々(しょうしょう)高台にあり,庭園の祠 (ほこら)や庭木等遺(のこ)っていて,往時を偲ばせるものがあるが,その東隅に,西 面して,「義民穴井六郎右衛門之碑」が屹立(きつりつ)している.

馬原村では本村の義民生誕地に記念碑建設のもくろみがあり,昭和24年義民碑建設委員 会を組織し,遂に翌25年四月この跡地に大きな記念碑の竣工となった.

碑の撰文も書も武石繁次先生であるが,碑文1100余字は義民業蹟の巨細を適確に叙述 している.

記念碑の前方に「義民生誕之地」の石柱がある.昭和40年3月10日,子孫等によって 建立除幕せられたものである.

鞍形尾−六郎右衛門が,日夜篤く崇敬礼拝して,12月25日代官の補吏に襲われた時も ,暫く猶豫を乞うて,参詣(さんけい)したと伝えらるる鞍形尾八幡宮は,本村部落の南 西半里,日田市境にあり,古くは岩松ケ峯と称して,天武天皇の九年八幡神が,日田では 初めて降臨された峯と伝えられている.

なお八幡神は貞観年間に大原(元宮)に,さらに寛永年間に新大原(現在地,田島)に遷 座せられたのである.

下原−江戸直訴の諸準備を整えた下原部落(当時一軒家)は,本村より約1キロメートル の東南であり,その平左衛門(宝暦酉年8月2日没,法名釈円智)(子孫戸田渡氏)の墓 も墓地に建っている.

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