岡田正太夫と穴井六郎右衛門

90/08/01 20:52:16 NOSIDE 日田義民伝概説シリーズNO.2



** 日田義民伝概説シリーズNO.2

**(1)岡田正太夫と穴井六郎右衛門

 徳川幕府にとって日田は特に重要な所であったので,江戸時代は殆ど,幕府領(御料, 俗に天領)として支配して来た.大名領は元和,寛永年間の石川忠総(譜代)と,天和. 貞享年間の松平直矩(親藩,家康の曽孫)の20余年にすぎない.

 代々の郡代や,代官は民治に勉めて,後世にまでその功績の称讃せらるるものも多い. 併し享保19年から宝暦4年まで,代官として日田に在陣した岡田庄太夫は,21年とい う最も長い任期中に,いろいろな,悪名を後世に残している.彼の人物を知るものとして ,和歌を好んだと亀山抄に記されており,また大超寺に建っている奥方の碑にも,万葉仮 名で一首刻まれているが,他には詠んだ歌も伝わっておらず,V延元年(973)玖珠郡 へ遷されたと伝えられる清原正高の重臣であったが,曽孫美濃守蔭連の跡継ぎ正高の曽孫長野通 平の次男道隆を迎えたので,清原姓を名乗るし年貢は前代官増田太兵衛の豊作の年の通り に徴収したので[諸人嘆くこと限り無し]と述べている.

また元文5繁住し,錦 袋山(きんたいざん)地蔵菩薩を尊崇し,その孫丈左衛門尉は,馬原村本村に永住して農 を業とした. 丈左衛門の孫,治郎左衛門は,挙げられて村役を勤め,六郎右衛門はその 五代目にあたる. 生年月日は明かでないが,延享三年71歳で処刑されているのから逆 算して延宝四年の生まれと思われる.

 享保十年(六郎右絵門が50歳で庄屋在勤中)の馬原村は明細帳によれば,村高は93 1石4斗6升7合で,日田郡第一の大村であった. この広いたり,家族のための供養塔 や,代官所の神社を奉祇する等には熱心であったが,かんじんの天領の農民の統治は,只立身出世の手段にしか過ぎなかったようである.

だから後に述べるように,凶作が続いても救済手段をとらぬだけでなく,豊作の年と同様の年貢をかけた上に,過酷な新しい税をかけようとしたのである

義民穴井六郎右衛門の遠祖,穴井四郎将監張継ぐは,天延元年(973)玖珠郡へ遷さ れたと伝えられる清原正高の重臣であったが,曽孫美濃守蔭連の跡継ぎ正高の曽孫長野通 平の次男道隆を迎えたので,清原姓を名乗るようになったと伝えられている.

元亀年間(1570−72)に至り,穴井和泉守重きは馬原(まばる)村字袋に住し,錦 袋山(きんたいざん)地蔵菩薩を尊崇し,その孫丈左衛門尉は,馬原村本村に永住して農 を業とした. 

丈左衛門の孫,治郎左衛門は,挙げられて村役を勤め,六郎右衛門はその 五代目にあたる. 生年月日は明かでないが,延享三年71歳で処刑されているのから逆 算して延宝四年の生まれと思われる.

 享保十年(六郎右絵門が50歳で庄屋在勤中)の馬原村は明細帳によれば,村高は93 1石4斗6升7合で,日田郡第一の大村であった. この広い村をよく治めて,享保17 ,18年の飢饉にも,最も初めに慈善の拠銀を行ったと云われている.

また凶作にも困らぬように,新田の開墾や,大ため池の造成,畦延べとか切り添えとよば れた田畑の拡張工事も行ってきた.これらの土木事業は,食糧増産のためのみでなく0こ れに従事する多くの百姓,ことに水のみ百姓の救済事業でもあった.

また平素から,神仏を崇敬する念が厚く,特に日田郡八幡宮の起源である鞍形尾八幡宮 と,代々信仰してきた錦袋山地蔵尊への信仰と礼拝は,日夕怠ることがなかった.

直訴を思い立った時の六郎右絵門は,年すでに70であり,馬原の庄屋には給米7石も給 せられており,また凶年を考慮して開墾事業等もすすめておる程で,六郎右衛門個人とし ては,代官の悪政以外には生活には,たいして困るところはなかったのである.

直訴はまったくの天領の農民のためのものであった.両者を比較すれば, 岡田代官:自分の栄達,高慢不遜の生活,重税の賦課,不要の土木事業等 六労右衛門:自己を犠牲,敬神崇祖の日常,江戸に直訴,天領農民の救済 となるであろう.

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◎ 六郎右衛門 50歳の頃の馬原村明細帳 (ー)

一,庄屋百姓持の山.薮143ケ所 但し□薮わづかの場所ども相積もり申し候,雑木,   柴,株,野薮,小笹,小雑木等御座候.

一,茶漆実(?),竹の皮少し宛売り申し候.

一,楮の儀,定小物成の外,銘々高内併せに野畑御運上の内(ニ)植え置き申し候,銘々   紙織仕り候に付助成と成,年により少は売申し候.

一,作間稼ぎの事

  紙すき25人但し広形,ちり紙.年により増減仕り候.医者2人,大工2人,木挽2   人,桶や3人

  上記の類作間に稼ぎ仕り候,其外は日用伐売または,葛根.蕨等堀り夫食に仕り候,   女は布木綿少なし宛仕り申し候

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