著述と研究資料

** 日田義民伝概説シリーズNO.7



四),著述と研究資料 ..著述と研究資料の部にわけて,なるべく年代順に並べる.

** 著述の部

1)日田郡十三ケ村騒動始末

 成立の年代は不明であるが,日田義民伝(武石)にも引用せられており,写本として伝 わっている.章節は分けてはいないが,「御料豊後国日田郡村村百姓乍恐奉願上候御事の 延享2年12月付けの嘆願書」,「六郎右エ門ら三人の義挙や柚の木藤三郎の出家」,  「同志275人の処刑の申し渡し」,「十五庄屋への褒美」,「御検使下向等」の五項か らなっている.

2)義民穴井六郎右衛門小伝

 大正14年8月,武石繁次著,B6版,「義民穴井六郎右衛門の碑」の亀山公園(きざ んこうえん)建設の際に刊行したもので「て挿絵も多い.

5)日田義民伝

 昭和29年2月 武石繁次著,B6版,馬原(まばる)村建碑委員会る最初の出版であ る.

3)日田義民伝

 昭和24年8月,中島市三郎著,B6版,日田義民刊行会(代表岩橋賢竜)刊. 井上正之の著書の序文,写真(亀山公園内の迫獅フ,義侠不朽飯田惣次

之碑を読んだこと等が動機で義民研究に取りかかり,義民穴井六郎右衛門小伝や,義民劇 ,建碑等にも尽くして来たが,殊に昭和25年の財津町竜川寺の義民堂建設の議と,馬原 村での義民生誕地での建碑に関連して思い立った著述である.

従来の諸書に比べて,頗(すこぶる)る詳細正確である.目次2gを投じ大衆を救う」「 凶作に比の誅求,稀代の吸血鬼」「すべて水の泡,ああ愁訴空し」「九州の諸大名と行政区画」「進退谷(きわ)まって直訴に決する」「秘密厳守の誓書,先ず最初の血判」「獺(うそ)の尾の小町,花カンザシの美しさ」「訴状を携えて恙(つつが)なく江戸に入る」「一念徹って強訴聴許さる」「幕の命を帯び日田へ検使下る」「直訴総代は斬首と決まる」「助命を恐れて密かに首打ち」「父 の敵同志の仇,利右衛門庄太夫を刺す」の,見出しでもわかるように,読み物風に書かれ ていて挿絵も多い.

5)日田義民伝

 昭和29年2月 武石繁次著,B6版,馬原(まばる)村建碑委員会の刊行,代議士広 瀬正雄氏の序,と著者の自序があるが,自序によれば大正11年の春頃,千葉県の佐倉宗 五郎の霊堂に参詣したことや,関東大震災後郷里馬原の草三郎部落の,義侠不朽飯田惣次 之碑を読んだこと等が動機で義民研究に取りかかり,義民穴井六郎右衛門小伝や,義民劇 ,建碑等にも尽くして来たが,殊に昭和25年の財津町竜川寺の義民堂建設の議と,馬原 村での義民生誕地での建碑に関連して思い立った著述である.

従来の諸書に比べて,頗(すこぶる)る詳細正確である.目次24項で梗概(こうがい )を述ぶれば,

日田代官の政治−岡田代官の着任−岡田代官の苛政(かせい)−馬原庄屋穴井氏− 六郎右衛門の義憤−13ケ村の同盟−同志の会合と誓約−総代の出府−幕府へ上訴− 日田窮民の逃散−農民の蜂起−幕吏実情調査に日田下着−大坂奉行所へ提訴−幕吏再度の 下着−代官領民に弁疏の書−義民の帰国−讒者(ざんしゃ)の官府に内通−強訴徒党者の 御仕置き−代官付庄屋の褒賞−義民の終焉−義民に殉じた同志−岡田代官飢えぬ法を伝授 −岡田俊惟刺客に斃さる.−義民の余栄,となっており,巻末に穴井氏の略系と,仏堂並 びに墓碑所在地が挙げてあり,巻頭に亀山公園(きざんこうえん)と馬原本村の碑,血判 状,義民堂,馬原地蔵,弁当筒の写真が掲載されている.

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