井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ)経世家

** 井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ)経世家 **

名は準之助.号を清渓

明治2年(1869)3月25日生,昭和7年(1932)2月9日没 64才 墓は東京青山墓地.日田市大肥町の井上家墓地に分葬,法名大雄院殿中準清敬大居士 準之助は日田郡大肥村(現日田市大肥町)に井上清の五男として生まれた.五男二女の末 っ子10才で叔父井上簡一の養子になったが養父が翌年の夏に急逝したので11才で家を 継いだ.

12才で日田郡立教英中学に入学,病気で中途退学.17才東京成立学舎で英語,数学を 学び,明治20年12月仙台第二高等学校に入学,同級に高山林次郎(高山樗牛),一つ 下に土井林吉(土井晩翠)がいた.

明治26年7月同校を卒業して,東京帝国大学法科に入学,29年卒業して日本銀行に入 社,英国,ベルギ−と留学,アメリカ勤務等を経て,大正8年日本銀行総裁,大正12年 浜口内閣の大蔵大臣,昭和2年日本銀行総裁再任,昭和4年7月大蔵大臣

昭和6年若槻内閣の大蔵大臣等に就任,金の解禁等の政策を行い, 昭和7年選挙応援演説中に血盟団のテロリスト小沢正の凶弾に撃たれて死亡した.

参考文献:日田の先哲:日田市教育委員会発行

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