釈 宝月(しゃく ほうがつ)高僧

**釈 宝月 (しゃく ほうがつ)高僧 **

名は普明(ふみょう)または維月(いげつ).号は香光堂,明月楼,あるいは,法喜坊, 香光院と称する.

元文2年(1737)11月生,文化2年(1805)10月7日没69才

 法名:香光院普明

宝月は日田豆田の長福寺第11世である.

筑後府中(現久留米市御井町)の永福寺に生まれ,長福寺に入って第10世通元の跡をつ いだ.

長福寺は開基を宗栄という.寺は始め十二町村向新原(じゅうにちょうむらむかいにいば る)(現新治町(にいばるまち))にあったが,後,渡里吹上から豆田へ移る.

宝月の曽祖父遂印(すいいん)は大蔵経の開刻で知られる鉄眼に論争を挑んだ程の才学優 れた僧で乳通元も経学に精通した学僧である.

通元は広円寺体玄の実子であるが,寺は養子道寧が継いだので長福寺に入った.十往論の 易行品の教義を究明するため,自分は隠居して,宝月を法嗣とした.12年以上かかって この稿本が完成した.通元はこの稿本を宝月に添削修正させ後に京に於いて「読易行品」 三巻として刊行した.

宝月は肥前の僧大潮に学び,広円寺法蘭とは義従兄弟であり,同門で亀井南冥とも親しか った.

宝月の著書「釈教文撰20巻」「浄土論註講義」,詩集に「香光堂詩集」「香光詩集」 「船過姫島」の詩

大海中分ス 玉女ノ峰 蛾眉翠黛誰ガ為メニカ 容(かたちづく)レル

我レ 明月ヲ将(も)ッテ 遥カニ相贈ル 影ハ湧ク 瑶台(ようだい)十二重

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