釈 法蘭(しゃくほうらん)高僧

** 釈 法蘭 (しゃくほうらん)高僧 **

字は曇茂(どんも),法号,法蘭 号を銭塘(せんとう)

享保10年(1728)生,寛政6年(1794)9月13日没 67才 法名,円門,墓は現存しない.

法蘭は日田郡竹田村(現東町)広円寺の第五世道寧(どうねい)の次男に生まれ,法灯を そついで第六世となった.広円寺はもと大友氏の支族であった浄珎(じょうちん)が永禄 七年日田の田島村に創建した,真言宗大谷派の寺である.

法蘭の父道寧は肥後の延寿寺が入った人で,蘭陵と号し,学徳が高く書道にも優れていた .現在亀山町真光寺にある芭蕉50年忌供養の碑の「芭蕉翁」の文字はその筆に成る. 日田文学の主流の一つは中村西国,坂本朱拙,長野野紅,広瀬月化に及ぶ俳諧の道で,も う一方が広瀬淡窓に代表される漢詩の系列である.

当時の漢詩人達の作品は,法蘭と相良泰庵によって「豊城濫吹(ほうじょうらんすい)」 二巻に編集され刊行されている.個人集としては,道寧自撰の「蘭陵詩集」が現存では最 も古い.

法蘭は,父道寧の薫陶を受け肥前の大潮について学んだ.大潮は,黄檗宗の僧で,萩生徂 徠,服部南郭らとも親しく,詩文に長じていた.淡窓は「西日本,九州の学問文芸は大潮 によって始まったのが多い」と言っている.

法蘭は16,17才の頃江戸に上って,大潮の紹介で服部南郭の門に入った.帰郷してか ら名声も高くなり,肥後の薮孤山,筑前の亀井南冥と並べて称された.

淡窓の先生松下西洋,淡窓も法蘭の弟子となった.又,三浦梅園,脇蘭室等とも交友関係 にあった.

法蘭の著書:「豊城濫吹」,「銭塘詩集」,の刊本の他,「銭塘集二篇詩部」,     「雲門初稿」,「雲門余稿」の草稿が残っている.

寛政4年(1792)江戸からの御勘定役平岩治郎兵衛ほかが西下して来て,儒学を人々 に説く様に命を受け,豆田では法蘭,隈では宝月(ほうがつ)がその任にあたった.

法蘭辞世の遺偈詩(いげし)に

一心に仏の金言に帰命し 60余年報恩を事とす 生死の因縁今断じて 了(おわ)りて 即ち遊ぶ無上湟槃の門

参考文献:日田の先哲,日田市教育委員会発行

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