手島新左衛門景大.平左衛門安利

**手島新左衛門景大.平左衛門安利 **

   手島新左衛門景大(てしましんざえもんかげひろ)

 付 手島平左衛門安利(てしまへいざえもんやすとし)

* 大原宮文庫創立者

景大:通称 新左衛門.諱を景大.別名,真春(まはる).法名,休恵(きゅうえ)

   天和3年(1683)生 宝暦3年(1753)2月4日没71才

安利:法名,道樹(どうじゅ)享保18年(1733)4月29日没

   墓はもと丸の内町京塔の手島家墓地にあったが,その後整理されている.

近世日田の文化は江戸時代中期に起こり,次第に盛んになった.幕末に広瀬淡窓が出て全 国から門弟が集まり,名声が高くなるに従って著名な文人墨客が多く訪れて,日田の文芸 学問も隆盛を極めた.その遠因をさかのぼると,その一つに元禄の頃大原神社に創立され た「大原宮文庫」がある.

この大原宮文庫は景大と安利の二人が父祖の代からの家蔵の書物を大原神社に寄進して造 られたものである.

手島家は日田でも由緒ある家柄で先祖は讃岐の豊嶋(てしま)の城主豊嶋伊予守義兼に始 まり兼良−>光安−>安義−>新左衛門−>新助常成−>景大となり,一方の安利は安義 の次男の平右衛門安列(やすつら)の子にあたる.

手島家は家業を営むかたわら文学に志を寄せる人々が多かった.安義は福岡の貝原益軒に 学んで学識が広く,仏教信仰が厚かったので日田広円寺4代の高範と親交があった. 又常成りの兄与右衛門は貝原元端(益軒の兄)に学んだ.

この様に手島家の人々は文学の台頭期にこれを摂取する進取する気性と消化する才能を持 っていた.その具体化が大原宮文庫の創立であった.

手島家の家訓の一つに

「至楽は書を読むに如(し)くはなく,至要は子を教うるに如くはなし」

(最も楽しい事は学問をする事,最も大切なのは子どもを教育する事)とある.

昭和15年の大分県の調査報告によると,当時文庫に85部.631巻の書物があり,手 島家のほかからの寄進も明治期まで続けられているが,その主流は,景大,安利の寄進し た蔵書であった.

残念ながらその当初の書物は大部分が散逸しており,現在わかっているのは,日本後記( 現.宮内省図書寮蔵書)十八史略六巻(巻一欠),神社啓蒙七巻,中臣祓大全(なかとみ はらだいぜん)十巻である.

大原宮文庫は咸宜園の塾生達も利用しており,借りて返さず持ち帰ったものと推測される .

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