まとめ

** まとめ  **

1981年度の吹上遺跡の発掘調査は,台地中央部3地点,周辺部3地点の頚6地点で行 った.遺構は全治店に濃密に検出され住居跡,貯蔵穴など生活遺構,大型カメ棺.小児用 カメ棺,土壙墓などの墓地群に分けられる.出土遺物は土器,石器,炭化物,硬玉製勾玉 ,鉄刀片等であった.ここでは前年の調査結果も参考にしながら若干の考察をしてみたい ★★ 「生活遺構」...台地の中央−周辺には,弥生時代前期後半−中期前半にかけて の大型円形貯蔵穴をはじめ不定型土壙が検出された.特に台地の周辺部に大型の貯蔵穴が 集中している傾向にある.

このように台地上に大型の貯蔵穴が集中して分布する遺跡は北部九州を中心に所在するが 県下では余り例がなく,宇佐市,安心院町等の豊前側に集中している.また,大型貯蔵穴 と小土壙とが共存しており,共に貯蔵機能を持つが,その使用法に違いがある可能性も考 えられる.

★★  「住居跡」...今回は部分的な検出しかできなかったので,規模形態など比較 検討の対象とならなかった.しかしながらこれまでの ちょぅさを通じて住居跡群は,台 地中央に高い密度で集中しており,時期も前期後半から後期終末まであり,日田地方の中 心集落(母村)であったと考えられる.

また,その住居跡群の周辺に墓地群が検出されて おり,弥生時代の集落構造を解明する上で重要な遺跡である.

★★ 「埋葬遺構」...墓地群は,今回までの調査及び伝承などから,少なくとも7ケ 所の存在が明らかになった.墓域の規模は小さく数基のカメ棺,石棺,土壙墓などか集ま って墓域を形成し,台地の周辺部に点在する様相を示している.このような在り方は北部 九州の弥生墓の在り方とは異質であり今後の重要な問題となろう.

また,後期中頃に比定 される大型カメ棺の出土は,県内には類例がなく,日田地方の弥生文化が筑前.筑後地方 と深くかかわりながら発展していったことを物語っている.

★★ 「土器」...土器は1次,2次調査を通じて多量に出土した.その大半が貯蔵穴 および土壙であり,遺構の性格上遺棄された状態であるが,遺構の切り合い,土器の形態 などから若干の編年を試みる.

前期の土器は,2次調査G−2区1号貯蔵穴,同D−01区1号貯蔵穴最下層の土器群で あり,時期は前期後半に比定される.

現在の所吹上遺跡における弥生時代最古式の土器群 に比定される.次に1次調査第1区3号構の壷および甕で前期末に比定されるものである 中期の土器としては2次調査D−01区2号貯蔵穴および1次調査一区一号貯蔵穴.5号 竪穴の遺物がそれにあたり,中期初頭期に位置づけられる.

中期前半の土器群としては, 一次調査3区−1−3号カメ棺群がそれにあたる.北部九州の土器編年では城の越式に並 行するものである.

中頃の土器群は,少量ではあるが二次調査D−01区一号小型カメ棺がそれにあたる.壷 と甕の合口カメ棺であり,良好なセット関係をなしている.

後半の土器は,現在までのところ良好な資料を得ていない.中期終末の資料としては,一 次調査一区三号土壙出土の土器群がそれにあたると思われる.小型の長頚壷は豊前地域の 土器形態を持ったものである.

後期初頭期前半の土器は,一次調査1区2号住居出土の一括遺物である.壷,甕,器台, 注口,土器などを含む好資料である.

後期中頃の土器の資料は現在まで一括遺物として検出されてなく今後のしれょうを待ちた い.後期後半−末の資料としては1次調査1−拡張区五号住居出土遺物がそれにあたる. 甕,鉢の胴部にタタキ痕が見られる.

以上吹上遺跡の土器を概観したが,ほぼ弥生時代の全時期を通じてみとめられ,この遺跡 が日田盆地における中心的村落(母村)として長期間続いた事を物語っている.

また土器 形態からみた地域相は,福岡地域相が全時期を通じて主流をしめ,部分的に豊前地域相が みられるが,豊後地域相がほとんど認められないのが特徴である.

★★ 「石器」...吹上においては,吹上台に存在する弥生時代全時期にわたり石包丁 が分布しており,現在までに300点を越える石包丁が採集されている.それらのうち  60−70%迄が,福岡県飯塚市立ち岩より算出する輝緑凝灰岩であり外湾刃半月形や, 杏仁(まようにん)形の石包丁が多く目に付くが直線刃半月形や,方形のものは現在また 表採されていない.

中期の杏仁形石包丁は器肉が厚く,特に器身中央が厚く作られ機能的面の強化がみられる .大分県において日田地方(特に吹上)ほど石包丁の両が豊富な遺跡はなく,大野川流域 に於いては1遺跡1点位の割合でしか出土せず,他に類を見ない.

吹上周辺の台地に於いても吹上と似たような状態であるが,山田刃ら草場遺跡より表採さ れた石包丁は,全長24cm,最大幅7cm,最大厚0.8cmの外湾刃半月形で石包丁 としては非常に大きく,石材はサヌカイトを使い丹念に研磨している.2孔の穿孔を持ち ,有孔部分を両面から敲打し,新たに穿孔を施したものである.この山田原草馬遺跡採集 の大型石包丁は日田地方に於いては,山田原のバカ包丁と呼ばれて親しまれている.

吹上台地にも石鏃,石ノミ等の種々の石器が採集されているが,研磨石器は非常に少なく ,特に石鏃においては磨製鏃は採集されておらず,打製鏃のみしか存在しない.

磨製石器製品として採集された物は,石ノミ,石製紡錘車,片刃石斧,石剣,石戈等が採 集されている.

前述の吹上台地の石包丁の中には中期の外湾刃半月形の特徴を持ったものや,後期の2孔 の穿孔が上端部についたものなども採集されており,輝緑凝灰岩の他,粘板岩,頁岩質砂 岩のものもある.

磨製石器は,片刃石斧などの様に蛇紋岩粘板岩のものが多く,石包丁のように主流が輝緑 凝灰岩と言うわけにはいかないようである.打製石鏃は,姫島産の黒耀石は少なく,サヌ カイト,大山産黒耀石,腰岳産黒耀石が多いようである.

このような吹上遺跡の特徴を述べてきたがこの種の大規模な遺跡は県下では類がなく今後 ,保存を含めた台地の取扱いについては十分に各機関の相互の意見交流によってとりあつ かわなければならない.

注:(土広)...の漢字がなかったのですべて(壙)の字で代用した.

資料提供:日田市立博物館「吹上遺跡2」1981年3月31日日田市教育委員会発行

遺跡発掘の表紙へ戻る。