歴史・地理的環境

4。歴史・地理的環境

日田市は大分県西部にあり、九州全体から見た場合ほぼ中央に位置する。
三隈川などの河川が集中する沖積地の周辺には河岸段丘や「原(はる)」と呼ばれる
台地が広がり、日田盆地の地形を特徴づげる。遺跡の多くはその場所に立地している。

三隈川南岸は、長者原台地からなる石井地区、銭渕・高瀬段丘とその背後の陣ヶ原台地
からなる高瀬地区、三隈川と大山川に挟まれた半島状の台地である大部地区の大きく
3つに分けることができる。

台地はいずれも沖積地との比高差約30mほどで標高は130m台である。
しかしながら、今回調査した口が原遺跡は高瀬地区にあたり標高155m前後と他の
台地より一段高い位置にあるため、それらの台地上で確認されている遺跡と比較した
場合どのような様相を示しているのか注目するところであった。

この三隈川南岸には日田盆地全体の遺跡立地と共通する多くの遺跡がある。
(第2図)台地上には旧石器・縄文時代の遺跡が点々と残されており、長者原遺跡
(49)では縄文早期、上野第1遺跡(43)では縄文晩期の遺跡を確認している。
口が原遺跡の眼下に通っている国道210号バイパス建設時の調査では手崎遺跡に
おいて縄文早前後晩期の遺物・遺構が確認され、大部遺跡でも縄文早晩期の遺物が
確認されている。

また長者原と陣ヶ原台地の縁辺部には弥生時代の集落が広がっている。

古墳時代になると集落の中心は台地を下って、石井沖積地や高瀬段丘に移動するよう
で、高瀬地区では高瀬遺跡(40)と手崎遺跡で竪穴住居跡が曜認されている。
台地縁辺部は古墳時代には墓地として利用されていたらしく、護願寺古墳群(
44〜46)、穴観音古墳(48)などが台地上に立地する。

また、沖積地にはガラソドヤ古墳群(51〜53)、高瀬段丘上には姫塚古墳
(41)、桃山台地には千人塚古墳(33,34)が存在しており、律令国家によって
石井郷として設定されるまとまりが以上の古墳群の存在によって示される。

奈良時代(8世紀)には、石井駅が郷内におかれていたとされるが、この時代の遺構
としては上野第1遺跡や高瀬段丘上の条里遺構、手崎遺跡(36)が知られている。

『上野第1遺跡』(一般国道210号日田バイパス建設に伴う埋蔵文化財発掘調査
  概要)大分県教育委員会1991

『手崎遣跡・大部遣跡』(同上)大分県教育委員会1992
『(日田市高瀬遣跡群の調査1)誠和神社裏遺跡・後藤家墓地・陣ヶ原辻原遣跡
 ・高瀬深ノ田遺跡』大分県教育委員会1995

千田昇「日田・玖珠地域の地形」『日田・玖珠地域一自然・杜会・教育』
  大分大学教育学部1992

田中裕介「日田盆地三隈川南岸の考古学からみた開発史」『大分県地方史』154
   大分県地方史研究会1994

遺跡発掘の表紙へ戻る。