口が原遺跡発掘調査の概要

第3章 口が原遺跡発掘調査の概要

1。竪穴住居跡

今回の調査では12軒の竪穴住居跡が検出された。

§1号住居跡(第3図)
調査区南側の緩斜面に位置している。住居跡は方形ブラソを呈しており、規模は
2.00m×4.50m、最大深25pで北側は削平を受げていた。主柱穴は2本で
わずかに東側に偏って設けられている。

主柱穴の軸上西側に並列する屋内土坑が検出され、土坑内には2個体分の高坏のほか
甕などが出土した。住居跡中央には、焼土および炭化物が散面していた。

§1号住居跡出土遺物(第4図)

1は甕の胴部で内外面とも淡褐色を呈している。外面は調整は不明で、内面胴部上半
より頚部にかげてケズリ調整が残っている。遺存高は10.Opを測る。

2は甕で外面は褐色・内面は淡褐色を呈している。調整は外面がハケ、内面はケズリ
を施している。遺存高は16.5pを測る。

3は甕の底部で丸底である。色調は黄褐色を呈している。遺存高は4.0pを測る。

4は高坏の脚部である。色調は淡黄褐色を呈し、胎土は角閃石、石英、白色粒を含む。
調整は不明である。下半部4ヵ所の透かしを設げているが、対角の位置より少しズレ
ている。遺存高は9.8pを測る。

5は高坏の脚部である。色調は黄褐色を呈し、胎上は角閃石、白色粒、茶色粒を含む。
遺存高は7.8pを測る。

6は高坏の坏部である。色調は置色を呈し、胎土は角閃石、白色粒を含む。復元口径
は17.Op、遺存高は5.7pを測る。

§2号住居跡(第6図)

1号柱の西側に位置している。平面ブラソは長方形で全体が大きく削平を受けている。
規模は検出時で4.20mx2.75m、深さはわずかに10pを測るのみである。
中央に炉跡が検出されたが、柱穴を確認することはできなかった。出土遺物は、甕の
破片が多く出土したが図化できなかった。

§2号住居跡出土遺物(第5図)

台付甕の底部である。内外面とも淡黄褐色を呈している。胎土は角閃石、茶色粒を含む
。遺存高は4.5pを測る。

§3号住居跡(第7図)

調査区西側の谷斜面に面した所で検出された。平面ブラソは方形で西側は大きく削平
を受げている。規模は2.00mx1.50m、最大深は10pを測る。柱穴は3ヵ所
検出されたがいずれも主柱穴にはなり得ない。東壁際で須恵器が出土している。

§3号住居跡出土遺物(第8図)

1は須恵器蓋である。法量は復元口径13.5p、高さは2.6pを測る。外面は
黒灰色、内面は灰色を呈し、擬似宝珠形つまみを有している。2は須恵器蓋である。
法量は口径16.5p、高さは1.6pを測る。内外面ともに淡青灰色を呈する。
焼き歪みが大きい。3は高台付坏である。法量は復元口径13.8p、高さは
5.5pを測る。外面は青灰色、内面は赤褐色を呈する。

§4号住居跡(第9図)

調査区中央に位置している。平面ブラソは方形で東側に張り出し部を設けている。
規模は6.05mx3.60m、最大深は40pを測る。他の住居跡より高い位置
にあるため比較的遺存状況はよかった。
構造は主柱穴2本の建物である。ほぽ全周に壁溝を有しており、張り出し部は8p
ほど高くなっている。また、南壁際に屋内土坑を設げており、坑内には高坏ほか数点
の土器が出土した。

§4号住居跡出土遺物(第10図)

1は甕の胴部である。内外面とも赤褐色を呈し、胎土は角閃石、石英、茶色粒を含む。
外面調整は不明だが、内面は横方向のケズリを施している。遺存高は9.8pを測る。
2は高坏である。脚の一部を欠くがほかは完存である。調整は不明である。法量は
口径が20p、復元底径は10.7p、高さは13pを測る。口縁部が外反するところ
に特徴がある。

§5号住居跡(第12図)

調査区中央に位置している。平面ブランは方形で、一部撹乱を受げている。規模は
4.80m×4.30m、最大深35pを測る。主柱穴は2本である。西側の一部を
のぞき、ほぼ全周に壁溝を設げている。また、東側から中央に向げてしきり溝があり、
中央には土坑を有している。

§5号住居跡出土遺物(第11図)

1は甕の頚部である。内外面とも褐色を呈し、胎土は角閃石、白色粒を含む、外面調整
は不明だが、内面には横方向のケズリが施されている。2は高堺である。色調は淡黄
褐色を呈し、胎上は角閃石、白色粒、茶色粒を含む。内外面とも摩滅がひどく調整は
不明である。口径は約16p、高さ13pを測る。

§6号住居跡(第13図)

調査区北西に位置し、他の遺構とは少し離れた場所に構築されている。平面プランは
方形で、規模は約2.05m×2.20m、南側を大きく削平されており深さは最大
で15pを測るのみである。柱穴は検出されたが主柱穴にはなり得ない。

§6号住居カマド(第14図)

住居跡の南西隅に設げられていた。支脚は高坏を倒立させて用い床に固定されている。
火床面はおよそ50pの範囲でほぼ円形を呈している。

§6号住居跡出土遺物(第15図)

1は甕である。色調は赤褐色を呈し、胎土は角閃石、石英を含む。調整は胴部内面に
ケズリ調整を施している。復元口径は13.8p、遺存高は10.0pを測る。
2は高坏である。色調は全体に赤褐色を呈しているが支脚に転用されていたため被熱
により変色し、またススが付着している。胎土はわずかに白色粒を含むが総じて精緻
である。調整は坏部において丁寧なナデ調整をみることができるほか、脚部外面に丁寧
なタテ方向ケズリが施され、また脚部内面にはヨコ方向のケズリが施されている。
形態の特徴は坏部の稜が明確であることや界底部から口縁部にむかって直線的に伸びた
のち端部に近いところでわずかに膨らみをもつ。

§7号住居跡(第16図)

調査区東側の谷斜面に面した台地の端に位置している。平面プランは方赦で規模は
3.80m×2.90m、深さは最大で20pを測る。東側は削平を受げているため
全体のプランを確認することはできなかった。

§7号住居跡カマド(第17図)

北壁に設げられた北向きのカマドである。ほほ東西壁問の中央部に構築されている。
カマド奥壁は、住居跡の壁よりわずかに外に張り出すタイプである。
そで上部施設はすでに削平され残っていないが、片側の袖石が確認されたほか東側で
袖石の抜き取り痕が検出された。

§7号住居跡出土遺物(第18図)

甕の一部である。色調は内外面とも赤褐色で胎土は角閃石、白色粒、茶色砂粒を含む。
内面の頚部から胴部にかげて横方向のケズリが施きれている。復元口径14.4p、
遺存高8.3pを測る。

§8号住居跡(第20図)

調査区東端部に位置している。平面プランは楕円形で4.50mx4.00m、
最大深20pを測る。柱穴は多数確認されたが主柱穴を断定することはできなかった。
ほぼ中央に不整形な土坑をもちこぶし大くらいの礫を有していた。出土した須恵器
および土師器の甕は、後の流れこみによるものと考えられ、小片ではあるが弥生土器
の壷で胴部の刻み目突帯部が床面より出士している。

§8号住居跡出土遺物(第19図)

須恵器坏身で遺構検出時に埋土より出土した。
法量は口径14.2p、受け部径12.2p、高さ3.8pに復元される。
色調は内外面ともに青灰色を呈している。

§9号住居跡(第21図)

調査区中央東側に位置している。平面プラソは方形で3.30mx2.80m、
最大深10pを測る。東壁よりに屋内土坑を有している。柱穴は確認されなかった。
出土遺物はなし。

§10号住居跡(第22図)

調査区北側に位置している小竪穴遺構である。平面ブランは不整形で規模は2.20m
×1.10m、深さは最大で15pを測る。北側の狭小な場所に焼土が多く堆積して
おり、カマドが設げられていたと考える。また焼土堆積部はわずかに掘りくぼめられて
いる。カマドの逆方向に柱穴が確認された。

§lO号住居跡出土遺物(第23図)

1は甕である。色調は濃褐色を呈し、胎土は角閃石、石英、褐色粒を含む。調整は不明
である。復元口径は18.0p、遺存高は5.7pを測る。

§11号住居跡(第24図)

調査区東側に位置している。北側を5号土坑に大きく削平されているため全容を把握
することはできないが方形ブラソを呈していたと思われる。遺物は床直上に甕の破片
が数点出土しており、図化できないものの内面にケズリ調整が施されている。

§12号住居跡(第24図)

調査区南側中央で検出された。遺構は大きく削平を受げており、立ち上がりはほとん
ど確認することができなかった。柱穴は多数検出されたが、主柱穴になり得るもの
断定できなかった。床面直上よりカマド構築物と思われる粘土塊が多く出土している。

§12号住居跡出土遺物(第26図)

1は甕である。色調は赤褐色を呈し、胎土は角閃石、石英、赤褐色粒を含む。内面には
横方向のケズリが施されている。復元口径12.0p、遺存高11.5pを測る。
2は粘土塊である。住居跡全域で検出されたものの一部で、被熱を受けている。
外面は粗いケズリを施している。カマドの構築物ではないかと思われるが、もしそう
であるとしてもどの部分を構成するものかは不明である。図化した遺物については
上下が逆の可能性もある。

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