** 郷土の文化財−1 咸宜園跡 **
郷土の文化財−1 咸宜園跡
広瀬淡窓の家塾(漢学塾)の跡。江戸時代末期に日田が生んだ高名漢詩人。すぐれた
学者として広く知られているが、淡窓の真面目はなんといっても日本の典型的な大教育
家ということだ。
淡窓は天明2年(1782)4月、豊後の国日田豆田魚町に生まれた。文化2年(1
805)24歳の時、初めて家塾を開き、安政3年(1856)75歳で没するまでの
五十余年、ほとんど日田を出ることなく、日本全土から集まってくる青年学徒を教え、
その門から数多くの人材を輩出した。
咸宜園は一代淡窓、二代旭荘、三代青邨、四代林
外と相伝えて九十余年に及び、明治30年に閉塾。門下生は日本68国にのうち66国
に及び、その門下からは大村益次郎、高野長英、清浦奎吾などのすぐれた人材を生んだ
咸宜園は今の淡窓2丁目を南北に通ずる街路をはさんで、東と西に寄宿舎、講堂など
多くの建物が並んでいたが、今は淡窓の旧宅「秋風庵」だけがその庭、植込みの老樹や
竹林とともに、昔ながらに元の位置に残されているだけ。
なお道路の西側には当時の古
井戸が残っている。秋風庵を含むこの地一帯は「史跡咸宜園跡」として、昭和7年7月
22日国の指定を受けた。
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