**郷土の文化財−6 永興寺の仏たち **
平安時代から室町時代にかけての日田の支配者大蔵氏の居城が鷹城(慈眼山)であり
永興寺はその大蔵氏の寺として多くの寺田をもっていたが、大蔵氏の衰亡につれて寺運
も衰えた。現在では、寺の跡といくつかの文化財がわずかに当時をしのばせている。
大蔵永季(日田どん)が延久3年(1071)16歳で初めて相撲の節会(せちえ)
に上洛するときに、自分の背丈に等しい毘沙門天(びしゃもんてん)をつくらせて、
優勝を祈願したと伝えられているが、吉祥天(きっしょうてん)に捧持された木造兜跋
(とばつ)毘沙門天立像はこれであろうか。手法、様式ともに藤原時代のものである。
本尊の木造十一面観音立像は秘仏であり、寺伝によれば恵心僧都(えしんそうず)の
作といわれるが、桧木寄木造り玉眼入りで、鎌倉時代の作とみなされている。源平の
合戦に功労のあった大蔵永季が、木造毘沙門天立像(2・17メートル)を造立したの
は、平氏滅亡の翌翌年の文治3年(1187)で、これは胎内銘で明らかである。同じ
立像(1・59メートル)は、これより古く藤原時代後期のものであろう。
地頭大蔵氏の勢力が最も浸透してきたと思われる鎌倉末期に木造四天王立像がつくら
れた。胎内銘によって元享元年(1321)南都仏師康俊等の作とされている。郡司職
永貞のころである。これら仏師は昭和25年8月29日、重要文化財として国の指定を
うけた。
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