**会所宮(えそみや{よそみや..現在の呼称}) **
日田市刃連町(ゆきいまち)会所山...古代の古墳の跡らしいが,実際の所詳しく調査
が行われていないのでわからない.しかし,耶馬台国日田説の中心的霊地としての存在で
もある.又,日田の名前の起源と古書に記されている,比佐津媛(久津媛)はここに居住
していたものと思われ,景行天皇の行幸の際はこの地に寄られている.
日田の氏神として知られている大原八幡宮も,以前はこの地にあった.
会所山に関わる史料を記すと.
「往古景行天皇熊襲御征伐の時,筑紫の行宮より,当地へ行幸あらせられたる際,酋長,
久津媛,石井の鏡坂(日田市上野町鏡坂)に迎えて此地に奉す.
天皇此所に軍勢を集めて,御覧ありたるに由に,会所山(えそやま)と称し,亦国見岳と
もいふ.
文徳天皇天安二戊寅年(858)御鎮座にて,古の勅願所なり,峯に御影石あり,景行帝
天神地祗を祭り賜ひし所なるを以て,我今に至りても尚幣を奉り,祭祀を行ふ,此石を俗
に,御腰掛石と云伝ふ云々.
又,会所宮なる名称の起源に就いては,豊日誌に下の如く紀せり,日く成務天皇5年(紀
元795)乃,鳥羽宿禰(とばのすくね)に命じて日田の国造りと為す,靭負(ゆきおい
)に居り常に民庶を会して耕作の事を教ふ,遂に其居を名付けて会所宮といふ云々」
尚,この会所山へ会所宮から登ると,左に鳥羽宿禰の塚,頂上近くに景行天皇御腰掛石が
ある.
頂上の平垣地に「景行天皇御遺跡」の大碑があり,その側に内柴御風(うちしばぎょふう
)の歌碑がある.
碑面:御巡狩記念碑
万起(まき)むくの 日代(ひしろ)の宮の
と保須米呂藝(おすめろぎ) 仰(あお)がいまつる
恵曾(えそ)の神山 謹詠 御風
碑陰:昭和13年10月建
参考文献:日田の文学碑めぐり:木薮 正道 著:日田の郷土史研究会発行S,60,4
この会所山の山すそが今,日田高速道に関係するバイパス建設のために削り取られよう
としている.
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推論私見:比佐津媛−>久津媛−>久久津比売(くくつひめ)と名前と呼称の関係は,時
代と共に,変化する.呼称に合わせて漢字が付けられたり,漢字に合わせて呼称がつ
けられたりして,実際の所当時どの様な呼称が真実だったのか知る由もない.
しかしいろいろな文献に出現する,呼称なり,漢字から我々はいろいろな想像なり,推論
を巡らせる事ができる.これこそが歴史を学ぶ楽しみの一つでもある.
勿論学術的歴史の研究としては,とるに足りない説に違いあるまいが,素人の楽しみとし
ては,許されるだろう.
前置きが長くなったが,そこで,私なりに推論を立てて,この比佐津媛なる人物を想像す
れば,時代的背景を考えると,卑弥呼にも云える事であるが,当時人々を治めるには,祈
祷,占い等のシャーマニズム的存在でもあったはずである.
ひさつはくぐつとつながる.くぐつには操る,たぶらかす等の意味があり,くぐつめとな
ると,春を売るという意味合いも出てくる.比佐津媛の語源も案外こうしたくぐつ,くぐ
つめあたりから出ているのではないか.つまり国を治める行為か女性に依ってなされてお
り,その女性が人々を操るには,それなりの方法を備えていなければ困難であったろう.
ちなみに,卑弥呼はひめごとに通ずる.少々牽強附会と云われるかも知れないが...
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