福岡県太宰府市 祭 宝満山護摩供 5

94/03/11 13:18:37 HITA     福岡県太宰府市 祭 宝満山護摩供 5月


宝満山入峰大護摩供(福岡県太宰府市、5月)

〔案内文〕        かつて宝満山は、信仰の山であった。江戸時代は宝満25坊とい
われ修験の山として、山伏たちが住していた。

その宝満山で、竃門神社を開いたと伝えられる心蓮上人の1300年遠忌を記念し
て、山伏により峰入り・護摩焚きが復興されたのは昭和57年であった。それ以来、
毎年5月の第2日曜日に峰入り、最終日曜日に竃門神社下宮境内で護摩が焚かれてい
る。

峰入りは、先ず宝満山のふもとにある竃門神社下宮において、山伏たちによる入山
祈願が行われ、その後彼らを先頭に一般の人々も参加して峰入りが行われる。途中、
2合目あたりに建つ一の鳥居で入峰作法が行われるが、これは宝満山の山伏が、他か
ら来た山伏たちの入峰を許すかどうか問答して決めるもので、本来はこれで始めて入
峰が許可されるのである。

他に四方を祓う法弓・法剣の儀がある。そして法螺貝を吹きならし、関係の遺跡で
お経をあげながら、登っていき、最後に元宝満と呼ばれる仏頂山頂の心蓮上人の墓に
参ってその日の行事は終わりとなる。

次に最終日曜日に行われる護摩焚きであるが、竃門神社下宮の社殿では、採灯護摩
奉納奉告祭が執り行われ、筑前琵琶の奉納などもある。一方、山伏たちは稚児行列を
先頭に法螺貝を吹きならしながら登ってきて社殿前庭において、山伏問答、その他種
々の作法を行い、その後護摩壇に火が入れられ、祈願木(乳木)が投入される。護摩
壇が燃え尽きると崩され、山伏を先頭に参拝の人々も参加して火渡りが行われる。そ
して峰入り、護摩焚きと続く一連の行事も無事終了となるのである。

なお、峰入りに参加した人々には「宝満山金剛界入峰証」と書いた木の札が授けら
れる。

〔一口メモ〕      四季を通じて、多くの登山者で賑う宝満山は、古来神の山であっ
た。竃門神社、そして竃門山寺・大山寺・有智山寺と山麓は神仏習合による寺が時代
時代に栄えた。それが戦国期の戦乱で一時衰退し、江戸時代になって修験の山として
復活、明治の神仏分離で山伏たちが山を下りてまで続いた。それから百年、再び宝満
山に山伏が戻ってきた。

〔期間〕        峰入り:5月第2日曜日
護摩焚き:5月最終日曜日
〔場所〕        宝満山竃門神社
〔交通〕        西鉄太宰府駅より徒歩40分、タクシー10分
〔文化的価値〕  修験道の山として知られる宝満山に古くから伝わる祭事である
〔観客動員数〕  各約500人
〔問い合せ先〕  竃門神社(電話  092―922―4106)


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