掛け軸 書 広瀬青邨 1

豊前の矢野徳四郎の四男として生まれる。 天保5年16歳で咸宜園に入門。 21歳で都講(塾頭)となる。 天保12年肥後の深水玄門に師事し医学を学ぶ。 天保15年淡窓の養子となり塾政を任される。 文久2年成長した旭荘の子林外に塾政を譲る。 明治2年政府の要請で京都学習院漢学所に赴任。 西園寺公望が開校した私塾立命館で講師を務める。 明治10年東京華族学校の創立に関与。教授、監事に就任。