掛け軸 書 川路聖謨
日田代官所属史の子として生まれる。
小普請組 川路家に養子に入る。下級驀士からスタート。
後旗本となり各奉行を歴任。
大目付格の筒井政憲と共に
日露和親条約を調印(実弟の井上清直が日米修好通商条約を調印)
江戸総攻撃と聞き病躯が足手まといになるとの思いから自決したとも 江戸開城を聞き 滅びゆく幕府に殉じたとも云われる。
辞世の句
『天津神に 背くもよかり蕨つみ 飢えにし人の 昔を思へば』
慶応4年(1868)3月15日 享年67
川路聖謨、井上清直の生まれた時の日田郡代は羽倉簡堂の父親。
子供であった簡堂も日田に居たので接触が有ったかも。
小普請組 川路家に養子に入る。下級驀士からスタート。
後旗本となり各奉行を歴任。
大目付格の筒井政憲と共に
日露和親条約を調印(実弟の井上清直が日米修好通商条約を調印)
江戸総攻撃と聞き病躯が足手まといになるとの思いから自決したとも 江戸開城を聞き 滅びゆく幕府に殉じたとも云われる。
辞世の句
『天津神に 背くもよかり蕨つみ 飢えにし人の 昔を思へば』
慶応4年(1868)3月15日 享年67
川路聖謨、井上清直の生まれた時の日田郡代は羽倉簡堂の父親。
子供であった簡堂も日田に居たので接触が有ったかも。