秋深し となりは何を する人ぞ
とは有名な芭蕉の句である。秋が深まって今まで開放気味であった
障子戸や雨戸が寒くなって閉められて隣人の様子が解らず、何を
しているのか、気になるといった情景が目に浮かぶが、昨今では
この解釈も、隣が何をしようが関係ないという様になるのだろうか?
落ち葉散って ひらりひやりや 冬の音
秋も深まって来た。紅葉前線も次第に南下している。街路樹の落葉が
恨めしく感じる季節でもある。
散歩していると下井手児童公園にカシの実が沢山落下している。
このカシの実はタンニンが多く含まれていて、食用には渋くて
適さないそうである。
カシやドングリの仲間は幾つかの種類は食して美味い。
食して美味い筆頭は椎の実で、結構店頭で売られているが、食べる人は
余りいない。子供の頃椎の実は拾ってきて炒って食べた想い出もある。
そう言えば最近、木の実が食べられずに残って朽ち果てるケースが
非常に多い様に思う。
ザグロ、無果実、柿等も結構採られずに木に残っている。家の庭に
なっている果実よりも店頭で買ってきた果物の方が色形が綺麗で
美味しいからだろうか?
ならば他人様にあげれば良いと思うのだが、そうもせずに放置している。
さりとて無断でちぎって持ち帰り食べる訳にもいかず実に勿体ない
事である。
今年は、例年に無い冷夏のせいか、農作物泥棒が相当に出没し収穫
前の農作物が盗まれると言う被害が多く出た。中には田圃に育って
いる稲まで刈り取って盗んだ奴がいた。
秋に多くの植物が収穫をもたらしてくれる。その豊穣な収穫に対して
、自然の神々に人々はお祭りを開いて感謝する。そんな儀式が各地で
催されている。いわゆる「おくんち」である。五穀豊穣の御供日
(おくんち)お供えの日なのである。辞書には「おくんち」とは旧暦の
9月9日いわゆる重陽の節句の事とあるが五穀豊穣の御供日から来た
と自己流に解釈した方が理に叶ってる感じがする。
しかし、昨今の時世では、こうした「おくんち」も形ばかりになり、
次第に簡素化したり、無くなって来ている。
そんな中、日田では地域活性化のソースとして、「おくんち」の行事
を復活させたり、保存させる動きもある。
ただ、願わくばそうした形状のみを保存するのではなく、自然からの
贈り物である五穀豊穣に対しての感謝の気持ちの方を大切にし、その
事を子々孫々に伝えて貰いたいと願うである。
そうすれば、もっと自然の恵みをはじめとする食物に対して粗末に扱う
事が無くなるのでは無いかと思う次第である。
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