*[ 淡窓 先生 ]序文 VOL.1



 これは,先生としての淡窓ではなく,人間としての淡窓を,その生活の記録(懐旧桜筆 記.日記.その他)から,子供にもわかるように,書かれたものです.

従って,学説や教育などのことは,ふれてありません.人の子としての淡窓が,先生とな っていった生い立ちを記録に即して,物語り風に表現したものです.



1.[生い立ち](寅之助の巻)    ..幼い頃から元服するまで.

2.[遊  学]            ..亀井塾から帰るまで.

3.[立  志](求馬(もとめ)の巻)..妹秋子(ときこ)との友愛から教育をもっ

                     て身を立てると立志するまで.

4.[先  生](淡 窓の巻)    ..先生となって桂林園から,かん宜園,そし

                     てなぜ万善簿をつけるようになったかまで。



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1.淡窓先生 生い立ち

 広瀬淡窓先生は,今から195年前,日田の豆田(今の御幸通り)に生まれました. お父さんは,代官所の御用商人で,学問ずきな人.お母さんは,筑後吉井のお寺の生まれ でありました.

 淡窓先生は,その長男として生まれたのでありますが,先生がまだお母さんのお腹に宿 っていたころ,おじいさんとおばあさんが,四国まいりをしました.

[へんじょうこんごう,へんじょうこんごう]と巡礼している時おばあさんが,[ねえ, おじいさん.わたしはね,おおたいしさまに[[どうぞ家の嫁が安産いたしますように, ]と,お願いしないことはありませんよ.]といいますと,おじいさんは, [なあんだ,それくらいのお願いか,わしはのう[なにとぞ,天下に名をなす,男子をさ ずけたまえ]と,いのっとるぞ]と,笑ったということであります.



めでたく生まれたのは男の子,寅の年(天明2年4月11日)い生まれたのだからという ので,先生の名は,寅之助とつけられました.

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 二つになった寅之助さんは,秋風庵にいんきょして,俳句の宗匠をしている伯父さん伯 母さんに育てられることになりました.

 伯父さん伯母さんは,大そう寅之助さんをかわいがりました.そして乳がないので乳母 をやといました.

 ところが寅之助さんは,[べぇちーべぇちー]といって,どうしても乳をのもうとしま せん.乳母の乳房が黒いからいやだというのです.  それで乳母はしかたなく,こっそり粉をぬってさしだしたところ,まんまとだまされて ,うまうまと飲みはじめました.

それからの寅之助さんは,五つになっても乳を飲んだといいますが,大江山の話がすきで ,秋風庵のうら薮で,よく鬼退治のまねをしました.

 けれども町に出ることがなかったので,町のにぎわいを,とてもきらいました. 祇園につれてまいったところ,山鉾の人形がゆらゆらしては[ヒュヒュード.ド.ドン] [わっしょいわっしょい]と勇みたったのがおそろしく,わんわん泣いて,にげて帰っ たこともありました.

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