** [淡窓 先生]シリーズNO.2



 このころ,初めてのよそ行きに,玖珠に行きました.お父さんお母さんにつれられて, 月出山(かんとうさん)のふもとを通りました.

父:[寅之助や,ほうれ月出山だよ.]

寅:[月出山,ちがうよ.]

父:[月出山だよ.]

寅:[だって富士山のように見えないもの]

父:[なるほど,ハハハ,でもあれがその,この山だよ.]

寅:[そう,おうちから見ると,きれいだのにねえ.]と,ふしぎに思いました.そして [山は,見る所によって,形のちがうものだ.]ということを,この時さとったといいま す.

 ある時,伯父さん伯母さんが,寅之助さんにかくれて,中津に行きました.後になって 知った寅之助さん.[わあん,わあん,わあん,だまってどこかへ行ちゃった,わあんわ あん]と地だんだふんで泣きます.いくらなだめても聞きません.

 お父さんお母さんも手にあいません.とうとう使いを中津まで走らせました.

ところが,伯父さん伯母さんは,やっと向こうへ着いたところでしたが,寅之助さんかわ いさに,あわててそのままひき返してきました.

 それを寅之助さんは,大原まで迎いに行きました. ところが,つれの長作というのが ,薮の中に蜂の巣をみつけて,ばらしたものですからたまりません.

大きな山蜂が,ぶんぶんあばれだし,[あいた,あち,わあん,わあん]とにげまどう 寅之助さんを,チクリチクリとさしました.おでこもほっぺたも,ぶくぶくはれます.

びっくりした長作は,あわてて医者にかけつけるやら,まったく,[泣け面に蜂]の大さわ ぎをしました.

 六つになりますと,寅之助さんは,秋風庵から,お家にひきとられました.

それは,お父さんが,手元において,読書,手習いを始めねばと思ったからです.

 けれども寅之助さんは,秋風庵の伯父さん伯母さんをしたって,ひそかに逃げて,たび たび庵に帰りました.お父さんは,[これではならぬ]と思って,きびしくしかりました .そして乳母を里に帰してしまい,一心に手習いをさせました.

寅之助さんが,最初にけいこした字は,[仁慈]という二字でした.はじめての清書をし た時,お父さんは,寅之助さんの手のひらをおさせ,それを大原八幡に奉りました.

   それからの寅之助さんは,手習いのかたわら,お父さんについて,[孝経]を習いまし た.

父:[身体髪膚受之父母]

寅:[しんたいはっぷこれをふぼにうく]

 これが寅之助さんの読書のはじまりであります.

  [孝経]が終わると[論語],[論語]が終わると[四書]そして長福寺に行って,[詩 経][書経]と習いました.

 今なら大学生でなければ読めないようなものばかりです.けれどもそのころの学問とい えば,こうしたものを,声高らかに読むことからはじめられたものです.

 そうなると,手習いも,お父さんの手をはなれて,[烏石]という名人の書きのこし た手本を,けいこしました.  その最初の清書は[偶来松樹下高枕眠石頭]でした.こんどは城内の天満宮に奉りまし た. こうして寅之助さんは,まだ七つ八つでありましたが,学問は日一日と進んでいき ました.

寅之助さんが九つになった時,豊前から,元雷という少年が,日田にきました.

曇栄というえら坊さんに習ったとかで,字を書かせても詩をつくらせてみても,とてもう まく,ものすごく頭のよい少年であります.

 寅之助さんより,二つ年上でありますが,学芸のすぐれていることは,とても年のちが いぐらいのものではありません.

 お父さんは[寅之助負けるなよ.]といってはげまします.寅之助さんもその気になっ てがんばり,元雷が日田にいた一ケ年ばかりの間,けんめいに勉強しましたが,元雷に追 いつくことは,なかなかできなかったようです.

 淡窓先生は,ずっと後になって,[競争相手のあることは,いいことだなあ]と,しみ じみ書きました.

 元雷は,その後ヤクザモノになり,村の者たちから,ふくろだたきにされ,おっばらわ れたといいます.頭がいいということが,最後のものではありません.

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