秋風庵の訪問者

98/07/31 16:46:36 広報ひた 咸宜園 −2(8/1)

          □□□□□ 咸 宜 園 −2 □□□□□

                 秋風庵の訪問者

 秋風庵は、淡窓先生の伯父廣瀬月化の居宅でした。淡窓先生は、廣瀬宗家に生まれ2
歳から6歳までこの家で伯父さん夫婦に育てられました。幼名を寅之助といいました。
 今もこの秋風庵には、子どもたちがたくさん来訪しています。乳母車に乗った子ども
や親にだっこされた子ども、保育園や幼稚園に通っていると思われる子どもたちが両親
に連れられて来ています。
 小学生は、ほとんどが市内の小学校の生徒たちですが、中学生・高校生になると、九
州各県をはじめとして、遠くからは東京などから大勢の若者がやって来ました。
 成人者の中には、福岡から来られた91歳の方をはじめとして、書や詩吟を学んでい
る方、郷土史や歴史に関心のある方などいろいろなグル−プや個人が、昨年秋風庵を訪
れました。
 今年度になっても5500人を超える人々が来られました。その中には昨年に続いて
再度訪れた方もいます。また建物としての秋風庵、茅葺きの屋根、サクラの縁側、たた
き、古井戸、カマドや流しなどに関心・興味を持って来られる方々もたくさんいます。
 来訪される方々は、廣瀬淡窓先生の学者、教育者、漢詩人としての一生、また全国か
ら若者が来て学び日本の近代化に貢献したというその塾経営など「廣瀬淡窓と咸宜園」
に強い興味と関心で満たされているようです。
 最近、来訪された杵築市の若き病院長さんは「淡窓先生は、明治維新を予測されてい
たのではないか、私たちは、ここで学び、21世紀で活躍する人材となり、また、それ
を育てていくことを考えねばならぬのではないか」という感慨をお話くださいました。
 咸宜園塾が閉塾した1897年(明治30年)から100年が経過した今、「咸宜園
と廣瀬淡窓」を再度学ぶことは、現代に役立ち、将来に生きるため、有意義で価値ある
ことと思われるのです。

                         文・咸宜園解説者 後藤 孝

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