秋の思い出
秋になりました。ここいら当たりは田舎ですから庭のあるお宅には、たいがい柿木があり
枝もたわわに美味しそうな実をつけています。
誰も食べないのかなー-、もったいない、早く取って食べれば良いのになんて思いながら
通り過ぎてきました。
そういえば近頃はこどもが柿泥棒しないなー-。

昔はちょっと年長のガキ大将がいましたよね。
いろんな情報(もちろん食い物に関する事、どこにいつ何が実って食べられるとか)
を熟知していて、春のイチゴにすかんぽ、夏のグミやスモモ、秋の柿やアケビなど,
いろんな美味しいものを摂りに連れて行ってくれました。

よっぽど、食べるものがなかった時代なんんだろうって?
いいえ、そうではありませんよ。
当時だって、グミなど渋くって食べられたものではありませんでした。
小遣い持って(確か10円)お店に行けば、ガムや、せんべい、飴に、甘納豆など
結構たくさん買えましたからねーーー。
それは、摂りにいくって言うことが面白くってしょうがなかったのです。
ときには、川を渡り山を越えて、結構大冒険だったのです。

最近の子供たちは、そんなことしない。勿論、そんな物とって食べなくても、おいしい
オヤツは山ほどあるし、リーダーになって、年下の子を引き回してくれるほど
暇な子供もいないんでしょう。
ちょっと、かわいそうな気がします。
あんな、ワクワクするような遊びを知らないなんて!

昔の私リーダーは同級生のお兄さん(当時5〜6年生だったでしょう)でした。
私とその妹の同級生を含め6〜7人がぞろぞろ、群れを作って遊んでいました。
リーダーが「今日は銭形平次ごっこをするぞ」って言えばみなそれに従いました。
もちろん、いい役はリーダー、友達は妹と言う事で平時に助けられる役
私はいつも切られる悪役で、不公平だーって思っていましたが我慢していました。
親に言うと、「ジャア遊ばなきゃ良いでしょう」っていわれるのがわかってましたからね。
近所の大人たちは、リーダーが年下のこを泣かしたりする事もあったのですが、
泣くこの方を、叱ったりしました。「泣くな!この泣き虫が」って!
そうやって、強くたくましくなっていったのでしょう。

こう書くと、リーダーって、悪い子のようですがそうではありません。
釘など金物を拾いくず鉄やさんに売って小遣いを稼いだりする方法や、
風呂焚きにつかう焚き物を上手く縛る方法や、
怪我をしたときの手当てのしかた、草を折りたたんで笛を作る方法
食べられる草(?)の見分けかた、などなどいろんなことを教えてもらった
様な気がします。
少し年齢が上がると、近所の子とは遊ばなくなり、次のリーダーが生まれる、
そんなシステムだったのでしょう。

いまの子どもは、地域の中でいろんな年齢層の子どもと触れ合うという事
もありません。
学校から帰ると、遊ぶのは同級生か、1人でゲームだったり、
それに塾にいかなきゃならなかったりと、子どもなりに忙しそうです。
家の子供の行っていた中学校では、学年ごとに階が分かれていて
用がないなら違う学年の階には、立ち入り禁止でした。
「どうしてですか」って、先生にお聞きしたら、トラブル防止のためだとか・・・

いまの子どもたちは、クールって言うか非常に個人主義です。
自分に合わないとあそばない、遊べない。
子どもの頃から、集団の中で揉まれていないからだと思いませんか。
遊ぶのも、親かインストラクターがついて・・
なんて時代ですから、まー無理な話かもしれません。
昔みたいに、年上の子がしたのこの面倒を見て、いろんなことを教えてやる
と言う子どもの社会はもう出来ないんでしょうか。

こういう時代だからこそ、昔のように地域で遊べたらなーとおものですが・・・




メルマガに寄せられたコメントです
2000/10/21 00:44:47 案山子 さん
何でも手に入る豊かな時代の中で、子どもたちの心は悲しいほどに貧しいのですね。
私達の時代は貧しかったけれど「大人のなって働いたら、バナナをいっぱいべたい。とか 
少女雑誌に載っているような服を買おうとか・・・小さいながらも夢がありました。  

秋の味覚柿です。
今年も、もうそろそろですねー
この絵は趣味でやってるはがきえです