センチメンタル
意味もなく落ち込むことってありませんか?
先日の私がそうでした。仕事をする気にもならず、午後からぶらぶら、町に出ました。
町は、もう秋。街路樹のケヤキの落ち葉がカサコソ足元でなります。
ますます、センチメンタル・・あー私って何なんだろう・・・・

ふーっと立ち寄った本屋さん。
いつもなら、パソコン関係の雑誌か、愛しの朝見光彦ちゃんを捜すのですが
やっぱり、秋は人を変えてしまうのか私が手に取った本は「五木寛之」先生
の以下の3冊でした。

人生案内
青い鳥のゆくえ
こころ と からだ


五木さん(こんなに親しげにお呼びして良いんでしょうか?)がこれら3冊を通じて
「人生はつらいものだ、というふうに考えたほうが良い。
しかしその中でも何とか自分は生きていく、
そして、自分が本当の何かを見つけるのだと決めた時、
良い脳内ホルモンが満ち満ちてくるのであって、
安易なプラス思考ではぜんぜんダメだ」
「物事、明るいところばかり見つめていても
本当の人生の喜びと言うものは訪れて来ないんだ」
と言っているような気がします。
私は楽観主義で、「今日が無ければ、明日があるさ」って思う人でしたから
このことは「ずしっ」ときました。
わたしって、自分の足元も見えてない、ただノー天気なだけ。
今まで、それだけで生きてきたのかなーー?

「こころ と からだ」では五木さんは、人は病気の種を404持ってるという
仏教の考えを示し
人間は、一番大きな病気である死という病のキャリアだと考えようといいます。
時期は異なるけれど、100l発症する死という病。
病気にかかるというけれどかかるんじゃなくって、
内在していたのがひょいと顔を出すんだ、と。
だからできるだけでてこないように、自分のからだと会話して、
からだが発する小さな声を聞き取り、病気が外へと出ないようにして
いく事しかないと言います。
近代医療で、病気を克服するといった考えをもつことは間違いだとも言っています。
病気や死を抱えて生まれてくるという考え方を悲観的だという人もいるが、
そうではなくて
そういうものとどう折り合って生きていくのかが人間として大事なんだと言っています。
信じるべきものが見えないときは、本来の人間の原点に立ち返り、大いに笑い、大いに泣き、
細胞を活性化させて自然治癒力を高めることが人間に戻る第一歩だ、とも。
ニュースで、ガンの新しい治療法が開発されたとか、
アルツハイマーに効く薬が発見されたとか聞くと、
それだけで、これで将来は安心なんて思ってた私でしたが、
そうだよねーかなり甘かったなあ
だけど、なるほどと納得しました。
自分のからだは自分しかわからないですものね、
自分しかわからないことを医者任せにするのはやはり出来ない相談なんですよね。
気遣いを忘れていた自分のからだにちょっとごめんなさいを言っておきましょう。

青い鳥のゆくえは、短いエッセイです。
子どもの頃、読んで聞かされたか、自分で読んだかは定かではないのですが、
チルチル、ミチルのあの物語、青い鳥を見つけた2人は幸せに暮らしましたとさで
終わったと思ってた結末。
ところが、そうではなかったのです。
チルチル、ミチルが見つけた青い鳥は捕まえようとしたら逃げてしまったのです。
2人は生きていくためにまた青い鳥を探さなくてはならないのです。

原作者のメーテルリンクは「人間、一つのことをつかめばそれで幸せになれると
いうものではない」
と言いたかったのだろうと、五木さんは分析します。
そして、自分用に用意された幸福や希望は無いんだ、だから自分で作り出して
いかなければならないんだと。
それを自分の青い鳥として生きていかなければならないんだと・・書いています。

最後は人生案内です。
それは、読者やリスナーから、もらった手紙に回答するという形を取っています。
読んでみると、自分にも当てはまることだらけ。
そのなかでも、心に残った2つのことを紹介します。
一つは夢と年齢
手紙の内容は、老化とともに人は夢とか希望が擦り減ってしまのだろうかという
問いかけです。
五木さんは、こういっています。人は歳を取っていくのですと。
昔は、いつまでも夢を持ちつづけられる、そういう人間が青春の真っ只中に
いるんだと小説のなかでいわせたこともあるが・・
そんな口当たりのよいことじゃない、老化は老化なんですと・・
だから若い時の夢や希望も擦り減ってしまうのもあたりまえだといってるのです。
だけど、それは個人差があって、何歳だからこうだとかは決められない。
いくつなっても夢を追っている人はいるし、若いのにもう老成してしまったような
人だっている。
個人個人なんだと。できるだけ自分が心の中に持っているそういう思いを
正直に実現させていくことが人生なんだと。
人生において損をしたり遠回りをしたりしようがそれは自分で責任を負えばいいこと。
その覚悟があるのなら、周りから何を言われたって、影響されることは無いよ
といっています。

もうひとつは意志の強さ意思の弱さ
五木さんは意志が弱く何事もうまく出来ないと悩んでいる人にどうやったら
軽やかに生きられるのかを話しています。
私も意思の弱い、自分でも情けないと思っているほうですから・・・興味津々です。
五木さんは、人間は「不平等」に生まれてついてるんだといいます。
意志の強い、弱いも生まれつきのたちなんだと。
それは努力をしたりして克服できるものじゃない。
もし克服できたとしたら、その人ははじめから意志の強さを持っていた
ということであると。
じゃあどうすればいいかというと、「風を待つ」んだ!といいます。
ヨットは、走りたいと思っても風が無くては走れない、だからといって
帆も揚げないでいたら
せっかく風が吹いてきても走ることは出来ない。
だから、風が吹いたらその風を受けて走るぞと風を待つ気持ち、
風が吹いてほしいと思う気持ちその2つがあれば良いと言っています。
頑張るチャンスがくれば良いなー、そうしたら頑張るのにというように
きっかけを待つ気持ち。
そういうときがくれば、思いがけなくすらすらできることもある。
待ってるのに、風が吹かないこともある。出来ないのを自分のせいにする事も無いし、
風が吹いてうまくことが運んだからといって傲慢になることも無い。
意志の弱い人が劣っているなんて考えるのは間違いで、
人間どこかが劣っていればどこかが優れている物なのですから。
人間一人一人違うし、平等ではない。
人生失意の連続であり、苦しみや悲しみは次々襲ってくると考えたほうが、
思いがけなく明るい幸せなものにめぐり合えたということに、素直に感激ができるだろう。
そういうふうに生きていくことのほうがいいのではないのかといっています。

これら3冊を読んでみて、私はすこーし落ち込んでた穴から這い上がってきています。
人生って、ままならないものよ、頼れるのは自分だけなんだ、
そんな中でもいつかくるかもしれない、チャンスの風を待ってよう・・・
そんな、爽快な気分になっています。


21世紀は女性の世紀でしょうか?


五木さんは女性の時代についてこういってます。
21世紀の後半は間違いなく男女の関係はまったく違うものになってるだろうけど、
21世紀の前半は、最後の男の時代のあがきというかいろんな抵抗があるだろう。
夜明け前の闇はもっと暗いと言うが、夜があけてあかるくなるってわかっているんだ
けどその前の闇はもっと暗く感じるものだ。
その闇を 歌を歌って歩こうだって!
潤いを持って生きる、感情をもっと出してと言う風に言ってました。