スマートシニア
2月3日の朝日新聞「くらし」のページにこんな記事を見つけました。
「新しいもの好き、強いこだわり」って言うの!

私達団塊の世代が、スマートシニア−として注目されているって言う内容です。
「若い頃から流行を引っ張ってきた世代、他人と違うものを持ちたいというこだわり
も強い」ンだそうです。
私も団塊の世代の端くれ、「へーー!」ってついつい読んでしまいます。

私たちは戦後のベビーブームに生まれ、小中学校の時は「すし詰め学級」
高校受験、大学受験は狭き門。
いつでもがやがやとうるさく、話題になるのは団塊の世代、人数が多いという事だけ
だったなー!

戦時中の反動からか、物質的にはまだまだ恵まれませんでしたが、自由とか平等とか
自己主張するとかそういった事(今では当たり前となってしまった事)を積極的に
教育されたような気がします。

国家とか軍国主義を連想させるようなことはなるべく触れないようにし、
歴史の勉強も近代になると(時間の関係もあったのかもしれませんが)まるで駆け足
でした。
親子関係、師弟関係も上下関係ではなく「目上の人に対してでも何でもいえる」教育
を受けたと思います。
このことが当時の親世代には、不愉快極まりない事だったみたいだけど・・
「口答えばっかりして−−!それがいいことだって!アーア、妙な時代になった!」
そういうふうに、母は愚痴ってましたっけ。

子どもの頃、祖母に天皇陛下のことを「国民のすねかじりじゃないか」といった時、
祖母の顔色がサーッと変わり「昔だったら警察に捕まるよ」といわれたのが思い出
されます。
要するに、何にも考えずに言いたいことを言う、そんな感じでした。
なんか、それが良いことだと思わされてたふしがあります。
昨今の学級崩壊の芽はこの頃から芽生えてたのかもしれませんねー

われわれが、もっとも世間の注目を集めたのは華々しい学園紛争のとき。
その後は、高度経済成長の波に乗って、就職、結婚、子育て・・・・
大人になるにしたがって、自己主張もせず目立ちもせず、「前例踏襲」で何の新しい
ものも生み出さずに無難といえば無難に生きてきたような気がします。
だから、マスコミで話題の主役になるような事は一度も無かったでしょう。

バブルがはじけ、不況にあえいでいる今の時期、ようやく子育ても仕事の面でもゆとり
が生まれてきはじめました。
そして今回の新聞記事、「おーようやく話題の主役になれたかっ!」って思いました。

今までの日本には、特に母たちの世代では「年相応」っていうのが大事だったみたい
です。この年齢になったらこうだとかいう風に決めつけられて、それに外れると
「いい年してなんだ・・・は!」そういわれましたから。
年相応の無難な選択、それが社会に受け入れられるための要件だったのでしょう。

それが、だんだん変わってきているそうです。
団塊世代は、目だって何ぼです、目立たなきゃそれこそ団塊の中に埋もれてしまいます。
だから、単純に目立ちたい、人と違ったことをしたいっていう欲求が強いのかもしれま
せん。
スマートシニア−は、自分の趣味やこだわりのための出費は惜しまない傾向があり
若々しい、こだわった、ヘルシーな、こういった言葉で「釣れそう」なんだって。
自分自身を「同年代のヒトと違って、自分は若い」と内心考え、衣食住すべての面で
年よりくさくなりたくないと、もがきはじめてる・・私も団塊世代の一人なんです。

その結果が実際に消費傾向に現れ、不況に苦しむ企業から注目されてるんでしょう。

今までの日本は前例踏襲型で「動かない国・日本」といわれてきました。
新しいことへの挑戦より従来どうりの安定を選んできたんでしょう。

でも、団塊の世代は数が多いだけに消費の傾向を変えるエネルギーを持っていると、
思われているみたいです。

これからは、団塊向けにもっといろんな商品、サービスが考えられ提供されるように
なって来るでしょうね
なんせ、人数だけは多い巨大マーケットなんですから、少子化で数からいえばほんの
一握りの若者達とは、桁が違います。
年はとっても、気持は若く、流行を先取りし、元気にずうずうしく生きていかなきゃ、
なんて考えてますが・・・
小さい一歩かもしれないけど、この傾向が「動かない国・日本」を動かすかもしれな
いって思うんです。


スマートに生きたいね!

加齢臭だとかで、いろんな予防グッズが売れるんだって
なんか歳をとるって、情けないなーなんて思ってたけど
スマートシニアって事で注目されてるなんて、持ち上げられて
少々、いい気持ちになっています。
デモねー現実は私らの世代には厳しいです。