新しい歴史教科書

最近、新聞やテレビでは新しい歴史教科書をめぐる論議が活発です。
「作る会」のホームページでの趣旨説明を読んでみますと
「戦後の歴史教育は、日本人が受け継ぐべき文化と伝統を忘れ、
日本人の誇りを失わせるものでした。特に近現代史において、
日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くに
あつかわれています。 (この教科書は)
私たちの先祖の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、
その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。
教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語りあえる教科書です。
子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、
世界の平和と繁栄に献身できるようになる教科書です。」
と書いてあります。

いいじゃないの!と私は単純に思います!
特に「私たちの先祖の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、
その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。」って言うくだりが
気にいってしまいました。

だって・・・私は社会科は日本史を選択した受験生だったのですが、
年号に人名など暗記する事ばっかりで全体の流れなど良くわからなかった。
人間の歴史である以上、一つ一つの事柄になにかしら必然性があったはずなのに
個々に起こった事象としてしか教わらなかった・・・ような気がするのです。
(ちゃんと教えてくださってたのに私が劣等性だっただけなのかも知れないですね)

どうでも良いと思えることだらけ(?)の丸暗記と言う印象でした。
だから歴史の勉強は嫌いでした。心躍らせて読むなんてとんでも無かったよ!

歴史って、祖先が流した汗や涙が共感できるような勉強であって欲しいし、
少なくともただの暗記科目で面白くないと言うような教科ではいけないと思うの
だけど・・・これは受験と言う制度がある以上しょうがないのかなー。

ところで、政府はこれらの歴史教科書に韓国、中国から再修正を求めてきた問題で
2項目を(学会の定説に照らして)誤りと認めたものの、他の項目に関しては
再検定の結果、明らかな誤りとはいえないとして要求を退けました。
その理由と言うのが新聞に書かれてあったのですがそれをみて「えっ!」
と思ってしまいました。

韓国が指摘した項目に「強制徴用、従軍慰安婦問題」が脱落しているとありますが・・・
これに関しては記載するかどうかは執筆者の判断に任されてることで(政府が)記載
を求める事は出来ないとしています。

このように、執筆者の判断と言う項目が結構あって、意図的に書かなかったとしても
OKなんですよね・・・子供たちに伝えたいかどうかが判断の分かれ目だと思うのですが
しかし、社会的に問題になっている事なのだから知らさないで済ませると言うわけには
いかないと思うのですが・・・・

南京事件の再修正要求については、教科書の記述で

「東京裁判では、日本軍が・・南京を占拠したとき、多数の中国人民衆を殺害
したと認定・・・実態については資料の上で疑問点もだされ・・・論争が続いている」

と東京裁判が信用できないような印象を与える書き方をしていると指摘されていますが、
その事に対する政府の見解が「犠牲者数等はいろんな議論があり明白な誤りとはいえない」
となってます・・・

私も教科書の書き方では「南京事件そのものの認定に疑問点がある」みたいな感じが
するのですが・・・皆さんはどうですか?

南京事件の責任は、東京裁判での犠牲者数うんぬんの問題ではないはずです。
政府の見解の曖昧さは何か歯がゆい気がします。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/ (南京事件)

で・・・・最近、思うのです。
何か戦争の伝え方がソフトになってきてると・・・・

私の思い違いかもしれませんが、少し前までは戦争の話と言うと無差別殺戮の惨さとか
人としての感情も尊厳も命の重さまでもが戦争と言う大義名分で無くされてしまう
やりきれなさをいつも感じてました。

何年か前、731部隊の事を知ったときはこんなにも人間って恐ろしい悪魔に
なれるのだと思いぞーットしたことがあります。

http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/saikinn1.htm
(細菌部隊)

この部隊に関わった人達は戦後何十年も口を閉ざし語ろうとはしませんでしたよねー
私が知ったのは、森村誠一氏の書いた「悪魔の飽食」を読んでからでしたが・・
人としてあるまじきことをしてしまった、だから触れたくない、話したくないと言う
何か重苦しいものがあったように感じました。

でも、最近は国を守るために命をささげたとか、彼らの犠牲の上に今の繁栄はあるとい
うような・・・尊い犠牲のうえに・・・というのが多いような気がするんです。
確かに、そうです。その通りだと思います。
だけど私は、そういう「美談」とか「悲話」として出てくる話になんか戸惑いを感じます。
現代の豊かで平和な暮らしになれきっている頭で、戦争中の極限の状態を想像する事も無く
こういう話だけ偏って聞いてると、先の戦争では日本は悲しい被害者なんだって思えて
来ませんか?私だけ・・でしょうか?

日本の犯した罪、過去の過ちにも目を向けないといけないと思います。
「日本は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くに・・・」
と作る会のホームページにはありますが、
歴史事実として、認めるべきところは認め謝罪すべきところは謝罪し
補償するべきところは補償して早く戦後処理をして出直す時が来てるのではと思うのです。

戦争体験者も高齢になり、戦後と言う言葉さえも風化していっています。
私たちが「関が原の合戦」とか「西南の役」だとか言って年号を覚えたように
なん世代かの後の受験生は、「1941年12月7日」を試験に出てくる年号として
記憶するかもしれませんが・・・

それだけでいいのでしょうかねー、それじゃあいけないと思うんですが・・・


反響、パート2

この問題についても反論が寄せられました。

「強制徴用、従軍慰安婦問題」が社会的に問題になっているの
は「功」が欲しいが為に、ろくに勉強もせずに公式に謝罪したアホな河野洋平と
いう国賊政治家(全く等身大の表現です)と、それに、もろに同調し、書きたて
た日本の幼稚なメディアたちが問題にしているだけです。
そしてそれを受け入れていれば人権擁護でもしているような気分になり、
何となく安心している無責任な一般人が支持しているという構図です。
「従軍慰安婦」という言葉自体、戦争当事はなかった言葉だし、
(「慰安所」という所はありました。)
 国(軍)が強制的に女の人を狩り出して、
売春婦にさせたなどという証拠(たとえば書類等)は未だに全くないのです。
強制徴用があったとする...
人たちの論調はたとえば「1940何年に何処の誰が慰安所
へ連れていかれた」とか、慰安婦だった人たちのインタビューをそのまま
載せていたり、とにかく感情論で動いているだけで、
正確に検証する態度が見られないのです。
慰安婦を朝鮮半島各地で集めた者は全て、日本人又は朝鮮人の「民間業者」です 。
そしてそれらの業者の中には、おそらくずる賢い奴もいて、
町内の有力者あたりに、たとえば「泣く子もだまる関東軍
(日本軍のこと)からの御達しだ。
30人ほど至急調達して欲しい。」などといって、
軍の威光を振りかざして仕事をスムーズにこなしていた者もいたでしょう。
私が当時の業者をしていたら、おそらくそういったルール違反
(当時の女衒には軍の名をかたってはならんという指示が書面で出
されていた。)をして、仕事をやりやすくしていたことでしょう。
口頭だけでは何の証拠も残らないのですから。
 慰安婦の人たちは、半強制的に連れ出された人、
金の為に自分の意思で行った人、
業者に騙されて行った人などいろいろいます。
中でも強制されてやむなく慰安所へ入ったいたいけな少女たちは、想像を絶
する苦難を味わったことでしょう。
でもその、想像を絶する苦難は戦争という特殊な状況、
しかも当時は植民地だったということを考えると、決して「特別」な
ことではありません。
世界中の征服された国ではどこでもありました。 
だからお前らは我慢しろなどということでは決してなく、
日本は韓国との国交正常化交渉の中で、(昭和30年代)
当時の外貨準備高の約半分を国家賠償として、
後にも先にもこれでおしまいという形で2国間で取り決めました。
ですから現在、個人賠償を求めて元慰安婦の人た
ちが日本政府を訴えていることがまかり通るのならば、
原爆を落とされた広島や長崎の一般人や、
東京大空襲を受けた一般の人たちや遺族がアメリカを訴えたと
しても、何ら問題はないことになります。
でも現実にそれをしても一笑に付されるだけですが。
それからアメリカの思惑100%で進められた東京裁判も全てを額面どうりに受
け入れるのはダメです。
そして南京大虐殺についても、先程いった世界中のどこでも
戦時中起きた悲劇の一面に過ぎません。
 こんなことをいうと冷酷非道に感じるかもしれませんが、
そうであれば大変心外です。
なぜなら私達親の世代は、(私は3人の子を持つ父親です)
子供たちの将来に責任を持つ義務があります。
将来日本だけが世界の中で理不尽な目にあう恐れがあることを、
静観するどころか逆に煽っている国民など一体
日本以外のどこにありましょう!


・・・・・・・・・・確かに!
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