千と千尋の神隠し

久しぶりに映画を見に行きました。
千と千尋の神隠しというのです。

映画館はこの町には一軒しかなく、封切なんてもってのほか!
で、話題も遠のいた今の時期「千と千尋」なんですが・・・
映画を見に出かけようと思ったその日、朝のニュースでこの映画が
ベルリン国際映画祭で「金熊賞」を受賞したと聞き、
何だかやけに得をしたような気分になりました。
うん、GOOD TIMING!

先ず、絵の美しさ、正確さに感動・・・さすが「金熊賞」だ!
画面の隅々にまで心憎いまで気を使ってます。
主人公の千尋の手や足の動きが顔の表情以上に彼女の心を表しています。
「そうそう、子供ってこんなことするする」
なーんて、自分自身や子どもたちの小さい頃のことを思い出して、
懐かしさというか忘れかけていた何か大切なものを思い出したというか・・・
心がほんわり暖かくなって来ました。

ところで、わたしって奴は、映画のホームページなんて見て行ったのです。
http://www.sentochihiro.com/
だから登場人物に対してかなり先入観があってーー
「ああ、こいつはこういう人物で・・・」とかいう感じで見てしまうんですよ!
でも見ているうちにずいぶん違ってきましたよ、湯婆婆なんて、
下のような紹介になってますから

☆湯婆婆(ゆばーば)
年齢不詳、巨頭の老女。魔法を使い、“油屋”と呼ばれる湯屋を経営し、
支配する。口やかましく、ズケズケものを言い、強欲。
世間のある部分を代表する。☆

強欲で従業員を奴隷のようにこき使い・・・・なんていうのかと思ってた。
でも一寸違ってたよ、やっぱり先入観はいけないねーたとえ映画でも!
彼女は働かないものに対しては冷徹ですが、働くものに対しては衣食住の
すべての面倒は見るという経営者。
うん、うん、いまどきの自分さえ良けりゃいい、経営責任も取らずに
従業員を路頭に迷わせる経営者よりよっぽど良いじゃん!なんて思ってしまいます。

千尋は湯婆婆に「千尋」という名前は生意気だと「千」と言う名に
されてしまいます。
「千尋」が保護され、いつくしまれながら育てられたという彼女自身なら、
それを剥ぎ取られるという事はただ働くためだけに存在し、
それまでのプライドや甘えや過去のぬくもりさえ剥ぎ取られてしまうという事です。
でも、彼女自身は両親を助けたいという気持ちだけで、
そういう惨めさなど感じる余裕もなかったみたい。

神様たちがやってくるという湯屋は不景気知らずで毎日大忙し、
わいわいがやがやとにぎやかで、活気に満ちています。
こういう映画に出てきそうな陰湿ないじわるもいないし、
釜爺やハク、リン達に助けられながら精一杯働きます。
そして「千」は誰もが嫌がったオクサレ様の世話をし、
気に食わぬと大暴れしてたカオナシを改心させるのですが・・

この、カオナシも主要な登場人物です。H・Pでは下のように説明してあります。
☆カオナシ
湯屋のある世界とは別の場所からやってきた謎の男。
呑み込んだ相手の声を借りてしかコミュニケーションがとれない。
己というものを持たない悲しい存在。☆

宮崎監督は、「人を好きになったあまりストーカー的行為に出ることや
耐えられないさみしさや、キれるという言葉に代表される鬱屈した感情の発露などは
すべての人間が持つ本質である。カオナシは私たち誰しもが持つ性質を結晶させた
現代日本人そのものだ」とH・Pで語ってます。

カオナシは千尋とは対照的に描かれています。千尋が魔法でではなく
自分の力で生きていくのに対して
カオナシは自分の力ではどうする事もできないのです。
ただ寂しい寂しいと嘆いて千尋に救いを求めるのです。
彼が現代日本人そのものだなんて・・・うーーん、これは意味深ですよねー
確かに、情報化社会といわれる時代、バーチャルゲーム、
携帯電話やパソコンを通じてのコミュニケーションなど
現実を逃避して夢うつつの世界に居場所を見つける人たち・・・
自分をうまく表現できない、たださみしい、さみしいと嘆くカオナシに、
どこか似ているなーそう思えてきます。

それから、この映画には2タイプの母親が登場します。
「湯婆婆」と千尋の母親です。

湯婆婆はわが子には有り余るほど物を与え甘やかし、言いなりになるだめ母です。
彼女の子供は「坊」といってわがままで暴れん坊、気に入らないことがあると
ぎゃーぎゃー泣き叫びます。
ほとほと手を焼いているのに叱りつけもせずおとなしくさせるために、
またも何かを与えるという悪循環を繰り返しています。
(子どもをだめにする良くあるパターンだよね)
この子は外へ出ると悪い病気になるということでに外へも出してもらえず、
自室でわがままし放題で生活しているのですが、「湯婆婆」の双子の姉(銭婆婆)に
「坊ネズミ」にされてしまいます。
「坊ネズミ」になった「坊」は小さくなって身軽にもなり、ハエドリに咥えられて
千尋にくっついてハクを助けるために銭婆婆のもとへ行くのですが、
だんだん性格が良くなってくるのです。
かわいくって無邪気で好奇心いっぱいの本来の子どもの姿に戻っていくのです。

「湯婆婆」はわが子が姿を変えられて自分の元からいなくなったとは、
ハクに言われるまで気づきません。
あわてた「湯婆婆」はハクが「坊」を連れて帰れば千尋とその両親を
元の世界に戻すという約束をします。
ハクが「坊」を連れて無事に戻ったとき「湯婆婆」は「坊」が立って歩く姿に
びっくりするのです。
過保護すぎて、わが子の成長が見えてなかったのですねー
こういう親っていますよねー(そんなこといってる私だってある面そうなのです)

もうひとつのタイプである千尋の母親は
頭もよく、子どもはある距離をもって育てなければならないという信念を
持っているのか、それとも、もっと別の関心事があるのかなーー
子どもに対しては、へつらわないし無感動です(のような気がします)
彼女と父親は魔法で豚にされてしまうのですが・・
(わたしなんか、自業自得だなんて思っちゃうよ!)
保護されるばかりで、どちらかといえば消極的な千尋が、両親を救うために
いやその前に自分自身が生きていくために働き、そしてハクを助けるために怖い
「銭婆婆」の元へ行くのです。
彼女はハクの命を助け「湯婆婆」に取り上げられていたハクの昔の名前を
思い出して彼のアイデンティティを取り戻させ、そしてカオナシの心を開放し、
その結果無事に両親を救い出せたのです。

魔法が解け、元の姿に戻った両親と千尋は入ってきたトンネルから
元の世界に戻って行きます。
豚になっているときの記憶がないのだから仕方のないことかもしれません
でも、両親は千尋が変化したことなどまったく気づきません。
(実際の話、この場面に一番腹が立ちました!)
千尋はこの何日かで大変化をしているはずなのに・・・
気づかないというより良く見ていないのです。前ばかり見てねー・・

世話を焼き過ぎて、一人歩き始めたいのを気づかぬ母親、
無関心で子どもを見ようとしない母親!
どちらの親にもなりたくないなーと思いました。
(子どもも育ちあがり、一寸遅すぎの感がありますが、わが身を自省して・・・です)
元の世界に戻ったら、千尋はまたつまんなそうな顔をした女の子に
戻ってしまうのでしょうか?
千尋は、どっちの世界にいたいと思うだろうか?なんて考えてしまいました。
わたしなら、現実の世界よりトンネルの向こうの生き生きした
(不況知らずの)世界の方がいいなーなんて考えてしまうのですが・・
えっ!お前は豚にされて食われる運命だってーー!えーーっ!!
それじゃあ、退屈でもこっちの方がーーいいかなっ!
というわけで、面白い映画です。ご覧になってない方!お勧めですよーー

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2002/02/22 00:00:21 marie143 さん 子供に関心を持ちつつも「与えない」ことができる親になりたいです。