親として学ぶもの
朝日新聞の「くらし」のページに中坊公平さんが「金ではなく鉄として」と言う
エッセイを書いています。
中坊さんといえば、住専問題処理や豊島の産業廃棄物不法投棄問題の辣腕弁護士
として有名な方。
幼少の頃からごりっぱな「正義感に燃える、秀才」と言うイメージでした。
この連載が始まり、ご本人の「虚弱で運動は大のにがてで友達と遊べず不器用で
日常の生活動作が年相応に出来ず劣等生であった。」と言う告白に、
知ってびっくり玉手箱。
でもそのぶん親近感が沸きました。
だって、挫折を知らないエリートは鼻持ちならないでしょう?
「涙の数だけ、人はやさしくなれる」なんて金八先生もおっしゃってる
ではありませんか。

それはさておき、庶民の味方、正義の味方の先生は、旧制中学校の入試の時
4人のうち3人は合格するという広き門で跳ね落とされてしまったのあります。

合格発表の日、泣きじゃくりながら帰った中坊少年をお父さんは
自分の寝ていた蒲団に入れて抱きしめてくれたのだそうです。

なぜ蒲団しいて寝ていたかと言うと、「果報は寝て待て」って言うからだって。
縁起を担いでそうして待っていてくれてたのですね。
(何か変だけどそれが親心か)
中坊さんはこう綴っています。

「私の親は、本質的には、甘かったわけではない。だが、子どもが危機の時には
このように砂糖より甘かった。
私のような弱い子にとってあの時は確かに危機だったのだ。
あの親の心根を私は「絶対的な受容」だと思う。
よい子だったら、成績がよかったら、よく頑張ったら、・・・
私もあなたを大切に思うという何かの評価を伴った条件付ではない。
絶対的な受容は、ひとの心の底に「自分は守られている」
と言う基本的な信頼感をはぐくむ」

この個所に私はドキリ。私は子ども達に対して「絶対的な受容」
ができるのだろうかって。
そして、思い出した一つのエピソード。
それは、娘が中学校の時の事です。

すごく面白い先生がいて、この先生の事を生徒は、
愛称で呼び合っていたのです。
家の娘は少しおっちょこちょいですから、
ある時先生を愛称でよんでしまったのです。
本人には悪気はなく、生徒の間ではごくごく普通によんでいた名前でしたから
つい出たんでしょう。
だけど、先生の機嫌が悪かったのか、娘は散々怒られ、
おまけにビンタまでされたそうです。

彼女はよほどショックだったのでしょう。
学校から帰るなり、私のところへ来て事情を話してくれました。
私としては、ビンタはひどいかなと思いましたが、
先生の悪口を親子で言っては教育上マヅいんではないか、そう思ったのです。

だから娘には「それは、○○先生の事を・・・なんて呼ぶあなたの方が悪いよ」
「目上の人や先生に対する言葉遣いが日ごろからなってないから
こんな事になるんだよ。今後気をつけなさい」
なんて説教までしてしまいました。
娘は「お母さんは、先生の味方ばっかしする」といって
怒って自分の部屋に行ってしまいました。

中坊さんのお父さんならどうするかな。
「お母さんはあなたの味方だよ」って事をちゃんと言うのではないかなと思いました。
私も、へたな説教する前に慰めるべきでした。
娘の悔しさや、悲しさを共有するべきでした。
この事を思い出し、ものすごく反省しています。

幸いな事に、立ち直りが早いのがとりえの娘ですから、
登校拒否にもならずに元気に学校に行きましたが・・

最後に、中坊さんのお母さんが好きだったという「カナリア」の歌の歌詞。
「歌を忘れたカナリアは、山に捨てるでもなく、
ムチでぶつのでもなく「象牙の船に銀の櫂」
を持たせ月夜の海にそっと浮かべてやれば、忘れた歌を思い出す。」

と言うくだり、ホントそうですよ。
私は子どもの成長を気長に待てずに、イラついているんだって思いました。
昔から、親心と言う字は立ち木を見る心だって、言いますよね。
何かの結果を期待して、叱咤激励される子どもってやっぱりどこかかわいそう。
気長に、ゆっくり見守る気持ちが大事なんだって、
親には、「絶対的な受容」が必要なのだって、そんな事を考えています。
中坊先生のエッセイの感想でした。


思い出話

中坊さんのエッセイまだ連載中ですね・・・
中坊さんの弱きを助け・・・って言う、自分も弱いんだけど
立ち向かっていくという勇気は見習いたいなーって思います。